【療育で分かったのは、結局何も分からないってことだった】発達凸凹

個別療育を担当する臨床心理士から与えられた最後の宿題と、療育を振り返って考えたこと、っておはなしです。

こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC Sousuke48さん


 個別療育を担当する臨床心理士からの宿題 


わたしが暮らす地域では、小学校に入学する3月に療育が終わります。毎月1回の個別療育も、残すところ、あと1回。

最後の個別療育に向けて、担当の臨床心理士さんより宿題が出ました。子どもに、ではなく、母であるわたしへの宿題です。

「療育を受けて良かったと思いますか?」

簡単にまとめると、このような質問でした。


 わたしは療育を受けて良かった、と思う 


ここのところ、療育への不満ともとれる文章を残すことが多かったのですが、わたしは息子が療育に通って良かったと思っています。

わたしは、戸惑っているだけなのです。日々の揺らぎに。

早期発見、早期療育によって、我々家族の生活は変化しました。どちらかいうと現時点では悪い方向に、悪いと思われる方向に。

療育施設は負のオーラをまとった場所です。たとえば幼稚園、あるいは子ども向けイベントにあるような、そういう、あたたかな空間ではありません。

いつもどこかの教室で子どもの問題行動を怒る声が聞こえて、先生の説明に泣く声が聞こえて、扉の前にある外の世界とはまるで違う異質な場所でした。

こういう世界があると気づいたのは、わたしの子育てにおいて、アスペルガー当事者として、貴重な時間でした。

障害児を育てる保護者が「傷ついていない」アピールをしなくても良い、ありのままの心で過ごせる場所でもあったのだと思います。

ブログにつづられているような、障害児がいるけども明るく生きている人たちのまわりには、こうやって悩む家族がたくさんいて、わたしもその一人として堂々と傷ついて良いのだと感じました。

療育施設は別れありきの出会いが多い場所でもありました。この出会いと別れは、発達凸凹のある子どもをもつ親が通る階段、気持ちの区切りだったに違いないとも思うのです。


 【早期療育で分かったのは、何も分からないってことだった】 


わたしが2年、3年かけて療育に通い分かったのは「何も分からない」ってことだけです。

発達検査や知能検査、児童精神科の医師の診察、臨床心理士による個別療育、集団療育、就学相談と、通常の子育てでは通過しない道をたどるなかで、わたしは息子について、多くの事実を知ることができるのだと考えていました。

ところが、わたしが息子について知ることができたのは、ほんのわずかであり、結局「誰にも分からない」の言葉に到達します。

5歳の子どもが、どのように育つのかは誰にも分からないという、子育ての原点に戻ってきたと感じています。

早期療育で分かった、もっとも大きな成果は「結局、何も分からない」ってことだった。その一言です。

療育に通う前、発達の遅れに気づく前と同じ気持ちで、未来への希望と少しの不安を抱いて暮らせば良い。

現時点では難しい願いでもありますが、いつか、そういう気持ちになる日がきたら幸せだと思います。

いまの悩みや苦しみをすっぽり忘れてしまう日がくることを、楽しみに待っています。

ほな、また(・ω・) よしなにー。

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