【療育の先生の話をすべて信じる必要はない】発達凸凹5歳年長

療育施設の先生は、幼稚園世代の子どもの発達についての専門家であるが、小学校以降の子どもの発達の専門家ではないのだと気づいた、っておはなしです。

こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC 78designさん


 【療育の先生の話をすべて信じる必要はない】発達凸凹5歳年長 


個別療育に通い始めて、約2年。そのあいだに気づいたことがある。それは、療育の先生による話には「未来」がないということだ。

未来、というのは、希望とか、そういう複雑な意味ではない。時間の経過、過去や現在の続きという意味で「未来」がないのだ。

5歳年長息子の個別療育を担当する臨床心理士さんは「現在」の話をすることが多い。過去はどうだった、いまはこうなったという時間の流れ。真実。「未来」については、何を聞いても濁す傾向。どのように成長するかは個人差だから、と。

昨年度、参加した集団療育の先生(たぶん保育士さん)は「現在」と「未来」を話す人だった。幼稚園や小学校と同じく、子どもたちをひとつのまとまりとして接しているので、個人の状態について詳細を把握しているわけではない。説明など、みんなに向けておおまかな傾向を伝えていた。

たとえば、集団生活に馴染めない、幼稚園を嫌がり通えないという相談には「小学校は支援級も検討したほうが良いかも」とか「通級を使って、徐々に馴染めるように」とかのアドバイス。

「幼稚園を嫌がってほとんど通えなかったけども、通常級に行かせる」「家族が反対するから、支援級には絶対いかない。通常級を目指す」という家庭もありますが、小学校で困るかもしれない。と。

「違う道を選んだ子は、その後、どうなったのですか?」という質問をしたら、「分からない」という返事があった。小学校以降の様子は、詳しく知りません、と。

保護者の不安をあおる、というのか、療育に通う、苦手なことがある子を通常級に入れるのは良くない。子どもが疲れてしまう。など、悪い未来を想像する話が多いが、それらぜんぶ先生がもっている想像のように聞こえた。

実際に、そうかもしれない。自分の担当した子が通常級に行って不登校になったエピソードであれば、わたしも納得できたと思うけども、子ども自身が困るかも、不登校になるかも、とか、ぜんぶ想像や又聞きの話。話題にともなう実体験、エピソードがない。噂話と同じぐらいの信憑性である。

先生自身も見たことがないのに、なぜ、自信をもって、「通常級では子どもが困る。支援級や通級にいかせるのが、子どもにとって良い」と話すのか、わたしには理解できなかった。

理解できないと気づいたのは、集団療育が終わりに近づいてからだった。初期、春とか夏とかは、先生の話は(絶対にそうなのだ)と思い込んでいた。間違っている可能性があるなんて、ちっとも考えず、悩んでいた。

ぬか喜び、ならぬ、ぬか悲しみ、だ。いったん盛大に悲しんだあと(やっぱり違ったな)と冷静に戻った。先生の話は、わたしの理解できる範囲にはないと気づいた。価値観や、情報の受け取りかたが違うようだ。

先生も嘘を言っているのではないと思う。先生もそれが真実だと思っているから、堂々と伝えるのだ。悪気はないはずだ。本当に知らないから、正面からの質問には「分からない」と言うのだろう。

結果的に、療育施設の先生は、幼稚園世代の子どもについての専門家だが、小学校以降の発達の専門家ではないのだなと考えるようになった。だから、年長で悩むであろう就学相談、小学校入学に向けて必要な情報、成長にともなう問題を知っているわけではないのかもしれない。

そういう部分、幼稚園を卒業したあとの「未来」については、以前に発達相談でお世話になったスクールカウンセラーをしている臨床心理士さんのほうが、わたしにとって価値のある意見、「未来」のみえるエピソードを聞けると思う。

知らない人に聞いたところで、想像しか教えてくれないのは当然だ。わたしの欲している、まさにいま生きている情報を知っている人に聞かなくては。と、思った。

あと1年、個別療育の臨床心理士さんとは、残り少ない幼稚園の「現在」を考え、スクールカウンセラーの臨床心理士さんとは、小学校以降の「未来」を考えることにしよう。心も身体も忙しい1年になりそう。

夏に始まる就学相談まで、あと3ヶ月。きっと、あっというまだ。

幼稚園では、ランドセルの話題が始まった。我が家は、就学相談が終わるまで、ランドセルを購入しないつもり。どこの小学校に通うか分からない状態では、選べそうにない。

羨ましい。子どもが小学校へ進学することに向けて、まっすぐ迷うことなく喜ぶお母さんたちの姿が。眩しすぎる。夏が近づく太陽の光よりも、ずっと、ずっと。

ほな、また(・ω・) よしなにー。

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