【親として当事者として「療育」に求めていた期待と現実の差】発達凸凹

発達検査や知能検査の結果は一時的なものではなく、恒常的なものだという。本当にそうであるならば、就学に向けてだけではなく、もっと先の人生に活かせる情報の伝え方をしてほしい。って、おはなしです。

こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC Arceさん


 【親として当事者として「療育」に求めていた期待と現実の差】 


息子5歳は3歳から「療育」に通い始めました。そのなかで期待していたものと現実には大きな差がありました。

発達障害の子をもつ親としての気持ちを語る前に、わたしが当事者として体験した出来事からおはなししたいと思います。

わたしがアスペルガー症候群と診断されたのは20歳の頃でした。告知と同時に、こういう仕事に向いているという情報提供がありました。

そのとき感じたのは(あと10年早く教えてもらっていたらなあ)

当時は大学生でした。すでに大学に入って専門的な学びを築いている段階で、どういう職業が向いていると教えてもらっても、選べる道は限られています。あと10年、せめて5年早く聞いていたら、自分の特性により適した学部や学科、ひいては職業を選べたのだろうなあと感じました。

そのような当事者としての想いがあったので、息子に幼少期の段階で発達凸凹があることに気づき、学校選択、職業選択に向けて活かせる適性を認識できるのは素晴らしいことだと感じました。

ところが、療育では、わたしが期待していた部分を教えてもらうことはできませんでした。

発達検査や知能検査の結果は一時的なものではなく、恒常的なものだといいました。本当にそうであるならば、就学に向けて活用するだけではなく、もっと先の人生に活かせる情報を伝えてほしいと思いました。

療育施設を利用する対象が主に未就学児という点で、遠い未来のビジョンを描くのが難しいのかもしれない。親にとっても、先生にとっても。

発達障害の専門家の多くにとって、幼児期に療育を受けた子どもたちの学齢期以降を見届ける機会は、意外と少ない。
〈中略〉
保護者は他の支援者と横並びの存在ではない。幼児期の保護者は特に、子育てに疲弊し、周囲の理解不足に傷つき、わが子の将来に見通しが持てず不安やストレスを溜めやすい。保護者のメンタルヘルスに配慮したカウンセリングや、同じ立場同士でのピア・ワークの機会が必要である。早期療育は、本人への支援と保護者支援の両輪で成り立つことを肝に銘じておかねばならない。
参考文献:「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年4月号 発達障害の人たちに対する早期療育の効果 日戸由刈

ほな、また(・ω・) よしなにー。

スポンサーリンク