芥川龍之介【侏儒の言葉】読書感想文、死に向かう心を描いた作品

ぼんやりとした不安を抱え、死に向かっていく時期に書かれた作品「侏儒の言葉」の紹介です。

こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC アディさん


 芥川龍之介【侏儒の言葉】 


芥川龍之介さんは「蜘蛛の糸」「羅生門」などの作品を残した作家です。国語の教科書で読んだことがある人も多いと思います。

わたしが芥川龍之介さんの作品のなかで特に印象に残っているものは「侏儒の言葉(しゅじゅのことば)」という作品です。

芥川龍之介さんは目の病気にかかるなかで、精神的に不安定になり、自殺してしまったといわれています。

「侏儒の言葉」という作品は、ぼんやりとした不安を抱え、死に向かっていく時期に書かれた作品です。

最初は長文で綴られていた言葉が、だんだんと短くなる。他の作品とは明らかに異なる書き方が印象的な作品です。


 芥川龍之介【侏儒の言葉】 印象に残った言葉 


わたしが1回目に「侏儒の言葉」を読んだのは高校生のときです。「侏儒の言葉」は全体的に難しい表現が多く、高校生の自分では、多くの意味を見出すことは難しいものでした。

ヘラクレス星群やら、クレオパトラやら、パスカルやら、物語前半は歴史上の出来事が出てくる文章が続き、わたしには理解の及ばない文章のなか、印象に残る言葉が飛び込んできました。

我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である。
参考文献:芥川龍之介「侏儒の言葉」

途中からは自分の考えかたが増え、友達や、家族や、まるで人生を振り返っているような言葉が並びます。

最後の文章も、印象的なものです。

わたしは勿論失敗だった。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであろう。一本の木の枯れることは極めて区々たる問題に過ぎない。無数の種子を宿している、大きい地面が存在する限りは。
或夜の感想
眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違いあるまい。
参考文献:芥川龍之介「侏儒の言葉」

 芥川龍之介【侏儒の言葉】 代表作「蜘蛛の糸」との違い 


芥川龍之介さんの代表作である「蜘蛛の糸」は、わかりやすく、やわらかい言葉で綴られた、小学生が読んでも情景をイメージできる作品です。

一方、「侏儒の言葉」は読み手を意識せず、心にある言葉をどんどん繋げたように思える作品です。読んでもらうことを目指していない、自分だけの雑記のような作品で、他の芥川龍之介さんの作品とは異質である印象を受けます。

ぼんやりとせまってくる「死」に対して、わたしとは、心とは、答えのない問いかけに苦しんでいるような。

「侏儒(しゅじゅ)」というのは、広辞苑によると、見識のない人を軽蔑していう語だそうです。

「侏儒の言葉」は、全体を通して人を批判しているようにみえる文章ではありますが、その批判は、心のなかをめぐる問いかけに答えを見つけられない自分に対しても向かっていたのかもしれません。

芥川龍之介さんの作品のひとつ、『文芸的な、余りに文芸的な』 まさにこの言葉があてはまる作品です。

ほな、また(・ω・) よしなにー。

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