【人を噛んで殺処分された犬と息子が重なり離れて遠ざかり】発達凸凹

昔飼っていた犬は人を噛んで殺処分された。あの犬と、発達凸凹で暴れる4歳息子の姿が重なる。大事に可愛がるだけではダメなのだ、っておはなしです。

こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC みつくにさん


 人を噛んで殺処分された飼い犬と息子が重なり離れて遠ざかり 


わたしが中学生のころ、我が家で飼育していた犬が殺処分された。近所の人を噛んだから。

雑種の茶色い犬だった。知り合いの散髪屋で生まれたオス犬。父親は野犬で行方知らず。母親は小型犬。小さい犬だと思っていたら、あっというまに母犬のサイズを追い越した。大きくなるにつれ、凶暴にもなった。

首輪を二重にして、小屋のまわりに囲いもして、できることはやったつもりだったが、事故が起こってしまった。きっと不十分だったのだろう。

わたしたちが育ててしまったばかりに、あの犬は殺された。わたしが育てなければ、もっと楽しく暮らしていたかもしれない。わたしが悪かったのだ。

あの犬と、発達凸凹のある4歳息子の暴れる姿が、わたしには重なってみえた。

いまはまだ小さい息子も、やがて大きくなって、凶暴になり、我々の手におえない状態になるのではないか。恐れていたのだ。

きょう、公園へ行った。4歳息子は、小さな子どもに自分が大事にしているオモチャを貸してあげた。以前はできなかったことだ。

そのときに、ああ、そうか、と思った。だんだん凶暴になった、あの犬と、4歳息子は違うんだ。当たり前だけれども。

飼い犬が殺処分されてから10年近く、頻繁に夢を見ていた。あの犬が出てくる夢を。はじめのうちは、噛みつかれて、血だらけになる夢だった。やがて、噛まれることはなくなり、穏やかな犬になった。最後は夢に出てこなくなった。

あの犬は、一緒に生まれた3匹の兄弟がいた。みんな、それぞれ違う家で暮らしていたが、3匹とも殺処分された。理由は同じ、人を噛んだから。母は言う。「血は争えないね」と。

天王寺動物園で見たオオカミは、あの犬に似ていた。父親は野犬。オオカミの血が入った犬だったのかもしれない。

あの犬は、本当は優しい犬だった。最後は、人を噛んでしまったけれども、本当は優しい犬だった。だから、違う人が飼っていれば、きっと優しい犬になったはずだ。と信じていたけど、どうなんだろうか。

発達障害は、親の育て方の問題ではないという。一方で、親の関わり方が変わると大きく成長するという内容の書籍が多く、やっぱり親のせいなのかと感じる日もある。

現在、発達凸凹4歳息子は、療育へ通っている。暴れる日もあるけれども、成長の兆しを感じる日もある。あの犬とは違う未来があるはずだ。ようやく信じられるようになった。

もし、あの犬に再び出会うことがあれば、小さいうちから噛まない練習、しつけの教室へ参加させるだろう。大事に可愛がるだけではダメなのだ。もっと早くに気づいてあげたら良かった。後悔している。

人を噛んで殺処分された飼い犬と、発達凸凹4歳年中の息子。重なり、離れて、遠ざかり。

ほな、また(・ω・) よしなにー。

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