【あのとき怒っていたのは、悲しいからだ】とあるアスペルガーの脳内

怒っているときには、考えると良い。わたしは何が悲しいのだろうか、と。

こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC aya53さん


 あのとき怒っていたのは、悲しいからだ 


2022年2月中旬を一言であらわすと「怒」である。スキあらば怒っていた。

なぜ、あんなに怒っていたんだ。振り返ると気づく。そうだ、悲しかったからだ。

いろいろと引き金になった出来事はあるのだけれども、そのどれもが、取るに足りないものだった。パズルのように、少しずつ、少しずつ積み重なり、あのとき、はじけた。

はじまりは、ずっと前。最初がどこかも分からないほど、些細な「悲しみ」から、長い時間をかけて。

あのとき怒っていたのは、悲しいからだ。

怒りに満ちたときは、何をやっても不可能だ。どうにもならぬ。ところが、この「怒り」が「悲しみの塊だ」と気づいてからは、するっと体内を抜けていった。

わたしの場合、怒りというものは、過去に向けられることが多い。過去はどうにも変えられぬ。一方、悲しみというのは、現在の問題だ。だから、自分が納得した時点で終わりを迎えることができる。

この不快な感情は、悲しみなのだ。怒りではない。怒っているときには、考えると良い。わたしは何が悲しいのだろうか、と。

あれが悲しかった。それが悲しかった。そうだ、わたしは悲しかった。認めたら、わたしのなかを走り回っていた怒りが、あるべき場所に戻った。

困難の中に、機会がある。
アインシィタイン

ほな、また(・ω・) よしなにー。

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