発達障害はまわりの理解だけではなく、まず親や家族に理解してもらうのが難しい、っておはなしです。
こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。
画像提供:写真AC himawariinさん
アスペルガー障害受容
わたしがアスペルガー症候群の診断を受けたのは大学生の頃でした。あのとき、わたしがもっとも衝撃を受けたのは、医師の言葉ではなく、姉の言葉です。
「社会的弱者のふりをするな」
わたしの姉は臨床心理士を目指して大学院に通っていました。発達障害にも詳しいと思ったので、わたしはこれからどうしたら良いのか相談したのです。
まわりに公表するか、障害者雇用が良いのか、どうやって治療するのか、いろいろ聞きたくて。
でも、まったく予想していない言葉で非難されました。
「本当に発達障害の人は、もっと苦しんでいる。社会的弱者のふりして、働かずに障害者年金もらおうと思ってるの? いい加減にしなよ」
「あなたは怠けていただけ。また努力せずに楽するつもり?」
そのような否定の言葉を投げつけられ、呆然としたのを覚えています。
心理学を専門に勉強している人がこのような感覚をもっているのですから、心理学を何も知らない、一般の人々が発達障害に理解をもたないのは当然だなと感じました。
発達障害はまわりの理解だけではなく、まず親や家族に理解してもらうのが難しい。
(・ω・) 本人は、意外とすんなり納得したり、ホッとしたり、プラスの受け取りかたをする場合が多い。と、当事者支援のセミナーで聞いたよ。
わたしもホッとした。悲しんだり、嘆いたりした時間もあるけれども、「ホッとした」が大きいです。幼少期からコミュニケーションがうまく成り立たず、自分って宇宙人みたいだなと感じていたけれども、同じような人間が他にもいるんだと気づいて安心しました。
(・ω・) そこらじゅうにいるわけではないが、地球に宇宙人がいるよりは高確率で存在する。ひとりじゃない。仲間がいた。
わたしはアスペルガー症候群と診断されたことが、人生の大きな分岐点になったと考えています。その後の人生で、自分の特性と合致した有意義な選択を積み重ねることができたと思う。
まさにいま、アスペルガー症候群や自閉症スペクトラムと診断されて絶望している人がいたら、少し嘆いたあとに前を向いてほしい。
どんな能力をもって生まれたかはたいした問題ではない。重要なのは、与えられた能力をどう使うかである
アルフレッド・アドラー
ほな、また。よしなにー。