2メートル先の空間が信用できない。存在しない空間に入りこんで、抜け出せなくなる日がくるのではないか、っておはなしです。
こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。
画像提供:写真AC acworksさん
【手が届かない空間は存在するか】アスペルガーの脳内
わたしには、昔から気になっていることがある。なぜ、多くのヒトは手の届かない空間が存在すると信じているのか、ということである。
わたしは、その空間を「2メートル先の宇宙」と呼んでいる。
手の届かない空間は、そこらじゅうにある。わたしが手を伸ばした、その先、それらすべて。
わたしが2メートル先の宇宙について、納得した出来事がある。あれは、家族でユニバーサル・スタジオ・ジャパンにでかけたときだ。広く広く見える空間の先にあった、街の風景が描かれたハリボテ。
あれは、わたしのなかにある「2メートル先の宇宙」そのものだ。わたしの見ている世界は、高性能なハリボテだらけなのではないかと感じている。
わたしの手が届かないところ、たとえば、窓から手を伸ばした先、たとえば、部屋の天井の隅っこ。あの場所は、本当に存在するのだろうか。なぜ、多くのヒトは、手が届かない場所が実在すると信じているのか。
わたしが2メートル先の宇宙を考えるようになったのは、不登校ひきこもりになった高校時代である。身体が重くなり、ベッドから抜け出せなかったので、1ヶ月ほど、毎日のように部屋の天井を眺めていた。それしかしてなかったといっても過言ではない。
「手が届かない空間は存在しないかもしれない」 そう主張すると「脚立を持ってきて、部屋の天井の隅っこを確認すればいい」と、父が言った。たしかに、そうすれば、そこに空間が存在することを証明できる。
だがしかし、手を伸ばして届かないところは無数にある。天井の隅っこだけではない、窓の外、地上の上、それらすべてに空間が存在すると信じて疑わないのは、なぜなのか、が気になっている。
どこかひとつぐらい、空間が存在しない場所があるかもしれない。なぜ、無条件に信じているのか。
地球上に存在すると考えられている空間すべてに触れることはできないから、見えるけれども存在しない空間があると考えている。少なくとも、わたしひとりで地球のすべての空間を確認することは不可なので、わたしにとって存在しない空間が必ずあると思う。
他のヒトが存在すると認めた場所であっても、わたしが自分で手を伸ばすまで、その場所はわたしにとって存在しないに等しいと考えている。わたしの手が届いた瞬間に、その場所に空間ができるというのか。手が届かなくなった瞬間に空間が消えている可能性もある。油断ならない。
まれに、飛行機が行方不明になるときがある。そのような事件を報道で知ると、次は自分ではないかと思う。存在しない空間に入りこんで、抜け出せなくなる日がくるのではないかと恐れている。恐れているは違うな、興味深いが正しい。
わたしにとって、窓から2メートル先と、宇宙は、同じぐらい遠い場所だ。どちらも手が届かない。存在するか確認できないのだから。
つまり、わたしの手が届かない2メートル先の場所は宇宙と同じだ。わたしから2メートル先には宇宙がある。
わたしは、その空間を「2メートル先の宇宙」と呼んでいる。
ほな、また(・ω・) よしなにー。