怒りとは悲しみである、怒りを消化するには自分にとって「いつも同じである」存在を見つけるのが大事だ、っておはなしです。
こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。
画像提供:写真AC fujiwaraさん
【怒りとは何か、怒りを消化するには】とあるアスペルガーの脳内
ここのところ、腹を立てていた。許せない。「正当な怒りだ!」と思っていたけれども、いろいろ考えた結果、正当な怒りではなく、正当な悲しみだなとの結論に達した。
どうやらわたしは、悲しいときにとりあえず怒るらしい。
夫に対して、「さいきん、よく怒っているけども、本当は悲しいんだ。分かってくれるかね?」と問うたところ、「まあね」との返事があった。夫は何かと「まぁね」を多用する。凡庸性の高い言葉だ。
「まあね」という言葉の多様性をきっかけに、子どもの頃に見たテレビの一場面を思い出した。
大人気キャラクター、キティちゃんには口が無い。嬉しいときは嬉しい顔に見えるし、悲しいときは悲しい顔に見える。見る人の気持ちによって表情を想像することができ、自分に共感してくれていると感じるそうだ。
古くをたどると、昔の日本で子どもが おままごと遊びに使っていた「姉様人形」は、口だけでもなく、顔を描かないものがあったそうだ。
夫の「まあね」と、キティちゃんの顔を思い浮かべる。仕組みが同じだと思った。
心の安定というのは「いつも同じである」存在によって、固定されるのだなと感じた。人物あるいはモノが日によって態度を変えないというのも重要な感情の安定要素になりうるのだと考える。
たとえばぬいぐるみなど生きていないものであっても、共感することはできる。怒りを消化するには、自分にとって「いつも同じである」存在を見つけるのが大事だと考える。
さて、わたしの溜飲が下がった。今後、わたしは何を悲しいと受け取ったのか分析する期間に入る。わたしが悲しいと感じた出来事と回避策を考えなければ、同じ轍を踏む未来しか待っていないのだから。
まあね、人生はいろいろある。
狂気とは即ち同じ行動を繰り返し行い違う結果を期待すること
アルベルト・アインシュタイン
ほな、また(・ω・) よしなにー。