【息子3歳の発達凸凹を母には伝えない理由】受容への壁

母に息子3歳の発達凸凹を伝えない理由や、普通に見えることが高い壁である、っておはなしです。

秋桜が咲き誇る畑

画像提供:Arceさんによる写真ACからの写真


 わたしの母は、娘のアスペルガー症候群を認めなかった 


わたしは10代、大学生のころに、アスペルガー症候群と診断された。きっかけは大学時代、不登校ひきこもり支援に関わるなかで(これは自分だ)を気づき、市町村の窓口へ相談したこと。その後、簡易検査を受け、アスペルガー症候群の可能性が高いとの判断。精密検査を受けるため、不登校ひきこもり状態であった高校時代に利用した病院で、知能検査を受けた。母親による、生まれてからいままでの様子の聞き取りも、同時におこなわれた。

わたしはアスペルガー症候群だと診断された。ホッとした。

自分は他の人と上手にコミュニケーションがとれない、宇宙人なんじゃないか。そうやって、同じように悩んでいる人が、日本にはたくさんいるんだと気づいたから。

同時に、それらの苦手に対して、どのような対応をしていけば良いのか、道筋が見えてきたことも、わたしの人生にとって、大きな分岐点であった。アスペルガー症候群や発達凸凹についての本はたくさんあった。自分に何が足りないのか、何が必要か、知ることができた。

わたしは簡易検査で、アスペルガー症候群の可能性が高いと言われていたので、ある程度の心がまえがあった。一方、母は「そんなはずはない」と主張し続けた。小さいときから頭が良かった、良い子だった、発達に問題があるはずないと主張した。

その影響を受けたのか、わたしのお姉ちゃんも、妹がアスペルガー症候群であることを信じていない。「弱者のふりをするな。お母さんが、かわいそう」って。大学で心理を専門的に学んでいたお姉ちゃんに、受け入れてもらうことができなかったのは、非常に驚いた。ショックだった。

あれから10年が経つけれども、母は未だに信じていない。お医者さんの診断は間違いだと考えているようだ。家族の仲が悪いわけではないが、「アスペルガー症候群」「発達障害」という単語は、我が家で口にしてはいけない危険ワードとなっている。

(・ω・) 不登校ひきこもり当時の話題も、ご法度。

母や、お姉ちゃんが悪いわけじゃないのだけれども、わたしはショックだった。アスペルガー症候群であると診断されたこと以上に、ショックだった。わたしの生きづらさの原因が、やっと分かったのに、簡単に否定されたから。味方になってくれると信じていたから、ショックだった。大事な気持ちだから繰り返す、ショックだった。ショック。

母も、お姉ちゃんも、わたしが小さいころから、学校で人と話せないことは知っていたはずだ。友達ができなかったことも。真冬でも、汗があふれるほど、緊張していたことも。学校で緊張しすぎて、意識がなくなることもあった。ぜんぶ、見ていたはずだ。でも、何も気づいていなかったんだなあ。もしくは、それほど重大な問題だと認識していなかったのかもしれない。わたし自身は、不登校ひきこもり状態になるほど、困っていたのに。

ちなみに、当時の彼氏(現夫)は、「人間には得手、不得手がある」という考えで、すんなり受け入れた。彼の両親は、わたしと結婚するのを反対したけど、彼自身はまったく気にしていなかった。感謝。


 息子3歳の発達凸凹を母には伝えない理由 


そういった理由により、我々は母および実家の人々に対して、息子3歳の発達凸凹を伝えないことを決めた。

(・ω・) おはなしは上手にできるし、年に数回しか会わないから、気づかないと思う。個性の範囲内、気にしすぎって言うと予想。

理解してくれる人にだけ話したら良い。理解してくれない人に、一所懸命伝えるのは、エネルギーの無駄遣いだと感じる。エネルギーは無限にわいてくるのではない。だから、より大切にしたいもの、自分が寄り添わなくてはいけないものにエネルギーを使う必要があるのだ。時間は有限だし、気持ちも有限だ。

発達凸凹があるけど、楽しく生きていこうね。って目標に向かって生きる我々にとって、「発達凸凹は無い。普通だよ」って主張する人は、味方であるとはいえない。

息子3歳には、発達凸凹がある。発達凸凹があるからといって、かならず不幸になるわけじゃない。

(・ω・) どうやったら楽しく生きていけるのか、考えているところ。

わたしも楽しく幸せに生きているし、息子3歳だって、楽しく幸せに生きていけると、思ってる。発達凸凹がある息子3歳は、困ることもあるかもしれない。でも、きっと、他のひとにはない才能があるのだと信じている。


 発達凸凹は「努力」で克服できるものではない 


発達障害があると悩む人に対して「普通に見えるよ」と声をかける人が多い。でも、本当に普通であれば、日常生活で深刻な困りごとには遭遇していないと思う。わたしも、不登校ひきこもり状態に、なっていなかったかもしれない。

普通に見えることが問題なのだ。この壁は非常に高い。

普通に見えるから、気づかれない。「なまけている」「努力していない」「できるのに、できないふりをしている」そういう誤解をされてしまう。自分自身でも、アスペルガー症候群と診断されるまで、そうなんだと思っていた。自分への信頼や自信も失う。“わたしは何もできない人間だ”って思ってた。

|ω・) 勉強だけはできた。だがしかし、勉強だけできても、何にも楽しくなかった。テストで悪い点数とって、友達と騒いでいる同級生が、羨ましかった。わたしも、そうなりたいと願っていた。

大学生のときに「わたしは努力ができないんだ。無意識のうちになまけて、ぼーっとしまう」と話したとき、まわりから言われて、驚いた言葉がある。「ぼーっとしてるように見えて、めちゃくちゃ努力してる。ずっと脳が回転してる感じがする」って。わたしも努力してたんだと感じて、嬉しかった。それから、わたしの世界は変わっていった。認知の歪みに気づいて、世界が修正されはじめたように感じる。

同じ時期、わたしは不登校ひきこもり支援に関わるようになり、自分自身のアスペルガー症候群に気づいた。とても良い時期に気づいたと思う。運が良かった。少しずつ、自分を好きになっていたから、迷いながらではあるが受け入れられた。

「障害」という名前がついているからには、やはり、自分ではどうすることもできない“見えない何か”があるのだろうなと思う。「普通に見える」「大丈夫だよ」って感覚をもつ人と、困りごとを共有するのは難しい。問題は目に見えるところではなくて、目に見えないところで起こっているのだ。

(・ω・) 過去から今まで積み重なってきたというのも壁のひとつ。

人間は学習するから、年齢があがるにつれて、困りごとはより気づかれにくくなる。自分がもっている自分自身への認識(本来の自分)と、まわりの人がもっている認識(学習した姿の自分)は、おおきく異なる。だから、自分自身は、まわりが感じている以上の“違い”を感じている。

わたしは、わたしの脳を通じてしか、世界を知ることができない。みんながいう「普通」とは、いったいなんなのだろうか。

目が悪い人が使う眼鏡みたいに、脳における認知の歪みを修正できる仕組みができたら、世界は、どんなふうに見えるんだろうか。知りたいなあ。と、興味深く、願っている。

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