「うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる」の読書感想文。発達が遅れている子どもを育てる母の葛藤や、心に響いた言葉、についてのおはなしです。
こんばんは、はたのんです。このブログは、不登校訪問専門員とひきこもり支援相談士の資格をもつ、アスペルガー症候群当事者はたのんママが、発達凸凹のある息子といっしょに成長する記録です。
画像提供:写真AC march!さん
【よくなるように、は間違いだった】発達障害を育てる葛藤を描いた本
吉田可奈さんと、ワタナベチヒロさんによる著書「うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる」を読んだ読書感想文です。
わたしが、この本を読んで、もっとも心に響いた言葉。
障害は病気ではない。いまなら、この”よくなるように”という思いが間違っていたことがわかるが、ぽんちゃんが発達障害だとわかっていなかった当時は、どうしたら”みんなと同じようになるのか”だけを考えて過ごしていた気がする。
参考文献:吉田可奈、ワタナベチヒロ「うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる」
わたしが「うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる」を良いと感じた理由は、発達障害の子どもを育てる母親の葛藤が丁寧に描かれているからです。前向きなだけではない、そのときどきの不安や葛藤が、よく伝わってきます。
そのなかで、わたしがもっとも印象に残ったのは、「よくなるように、という思いが間違っていた」という言葉。短い言葉のなかに、お母さんの期待が絶望に変わる様子が感じられました。
子どもに発達障害(発達凸凹)があると指摘されたお母さんが、療育などの仕組みを利用するときに、はじめは「よくなるかもしれない」って気持ちをもっていると思います。それが、だんだん、崩れていくというのか、病気のように「よくなる」のではなく、障害がなおらないことを受け入れて「まわりに適応する方法を学ぶ」っていう、新しい段階に移行していくように思うのです。
だから、この言葉には、発達障害のある子どもを育てる家族の期待と絶望が、短く的確に表現されていると感じました。心に響いた。
子どもの幸せはまわりが決めることではない
著者の母(祖母)は、孫の発達障害に理解がなく、いつになったら「普通」になるのか、かわいそうだ、と口にした。それに対する祖父の言葉も良い。
ぽんちゃんは、オレたちとは違う世界で生きてるの。そこでの幸せは、オレたちの幸せとは一緒とは限らない。だから、オレたちがぽんちゃんの幸せを決めるのはおこがましいことだよ
参考文献:吉田可奈、ワタナベチヒロ「うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる」
わたし自身も、アスペルガー症候群(発達障害)のため、まわりからすると普通ではない人生を歩んできました。ですが、まあ、幸せだと思って生きています。
子どものころから、いまに至るまで、人と仲良く遊ぶという場面は少ないです。だから、わたしのお姉ちゃんのように、友達とわいわいするのが好きな人からすると、わたしは孤独で寂しい、「かわいそうな」人生かもしれません。でも、わたしにとっては幸せな人生です。
子どもの幸せはまわりが決めることではない。本人が決めること。響いた。
子どもの発達が気になっているけれども、行動をおこせないお母さんにおすすめの本
吉田可奈さんと、ワタナベチヒロさんによる著書「うちの子、へん? 発達障害・知的障害の子と生きる」は、発達に不安のある子どもを育てるお母さんの葛藤を描いた本です。あいだに、専門医が監修した小話、こういうところに相談したら良いよなどのコラムがあります。
子どもの発達に遅れがあるかも、と指摘されたばかりのお母さんにも読みやすい、情報を受け取りやすい本だと思います。他の子どもと違うのかもしれない、そう感じている人にもおすすめです。
発達相談や療育など、いろいろな仕組みがあるようにみえるけれども、子どもの発達の遅れを専門的に見てくれる先生は少ないようで、相談したいと決めてから、実際に面談を受けられるまでには、予想以上に時間がかかります。地域によっては、半年や1年も待つのだとか。
だから、子どもの発達が気になっている、気になっているけれども、なかなか行動をおこせない、そういう状態にあるお母さんが、この本を読んで、次の行動をおこすきっかけになれば良いなと思います。
相談してみて、やっぱり違うとなれば安心できるし、なんらかの支援が必要となれば、次に相談する場所ができる。迷いのあるお母さんの背中を押す1冊です。
ほな、また(・ω・) よしなにー。
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