発達相談に行くと心がザワザワする。なぜだろうと考えたところ、療育の臨床心理士さんと対立するアドバイスを受けて、両方を実践しようとしたためだと気づいた、っておはなしです。
こんばんは、はたのんです。このブログは、不登校訪問専門員とひきこもり支援相談士の資格をもつ、アスペルガー症候群当事者はたのんママが、発達凸凹のある息子といっしょに成長する記録です。
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【療育と発達相談のあいだにある違和感】発達凸凹3歳息子
このところ、発達相談(ママのための心理相談)に行くと、心がモヤモヤします。なぜだろうか、と考えていたのですが、やっと、その理由に気づきました。療育と発達相談(ママのための心理相談)でもらうアドバイスが対立しているから、わたしの頭のなかが混乱して、モヤモヤしていたのです。
療育では。
担当する臨床心理士さんによって、3歳息子の苦手を補う練習をしています。これから始まる幼稚園、集団生活で馴染めるように、「普通」に近づくための訓練です。
一方、発達相談(ママのための心理相談)では。
子どもの個性中心で良い。子どものころに、おかしな行動をする子でも、やがて、まわりと同じように社会のルールを守って生活する。まだまだ子どもなんだから、子ども中心で良い。「普通」になる必要はない。
療育では「普通」を目指し、発達相談(ママのための心理相談)では「個性中心」を推してくる。その両方のアドバイスを実践しようと考えているから、目指すべき行動がぶつかる。どちらもうまくいかない。決着のつかないシーソーゲームをしている。
(・ω・) なるほど。モヤモヤの原因が解明できた。
発達相談(ママのための心理相談)というので、「発達障害」に詳しいと思って通い始めたのですが、どうやら発達障害については、あまり知らない様子です。子どもの発達全般の相談を担当する臨床心理士さん。
発達相談の臨床心理士さんと話していると(そうだなあ)と思うのですが、自宅に戻って話題を振り返ってみると(そうかな?)と、自分の意見が逆転する日も、よくあります。
子どものころにおかしい行動していても、だんだん、まわりと同じように社会のルールを守って生活する。心配ない。よく口にするのですが、いやいや、そうじゃないよな、と。みんながそうやって順調に成長していくならば、発達障害が話題になることもなかったよな、と思うの。
まあ、そういう意見があっても良い。わたしの感覚とは違うけれども、あり。
(・ω・) 考えかたを変えると、同調するだけではない、自宅に帰っても思い出す意見を提案する、発達相談の先生、すごい。わたしの感覚が動く「ツボ」をついてきたわけなのよ。
ひとつの意見を聞き続けていたら、考えかたが偏る。療育で教えてもらう「普通」に近づくための練習も、発達相談でおしえてもらう「個性中心」の感覚も、両方に良いところがあるし、悪いところもある。いろいろな考えかたを知っているのは、良いことだ。
(・ω・) 発達相談の先生は、楽観的で、人間らしい表現をする人物である。興味深い。わたしとは違う世界を生きているようにみえる。
(・ω・) 療育の先生は、きっちりしている。プライベートの様子が一切見えない。プロ。余計な情報は、一切与えない。こちらも興味深い人物。
ふたつのアドバイスのなかで、自分はどちらのアドバイスを優先して取り入れていくのか、子育て方針の軸を決めていると、心がザワザワしないのかも。
(・ω・) 軸がブレている。子育ての方針なんて、わたしには決められない。優柔不断の極み。
ほな、また。よしなにー。