【幼稚園行事での公開処刑が辛い】障害受容が足りないの?

障害児育児は孤独だ。相談したって解決しないときもある。けれど、「味方がいる」と気づくだけで気持ちが軽くなる、っておはなしです。

こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC FreeBackPhotoさん


 【幼稚園行事での公開処刑が辛い】障害受容が足りないの? 


幼稚園の行事で公開処刑されるのが辛いと先生へ相談したところ「受容が足りない」(を、オブラートに包んだ感じの言葉) そう言われたことがある。

こうやって障害を持つ子の親は「孤立」していくのだなと思った。

自分の子どもだけ何もできない様子を見るのが悲しいというのは、いけないことか?

みんなと同じことができるとは思っていない。でも、できない姿を見るのは悲しい。障害のあるなしに関わらず、一人だけできない様子を見るのは悲しいものでしょう?

普通なら「そんな日もあるよ」「次はできるかも」で終わるところ、障害があるというだけで「受容が足りない」に変わる。

悲しいと思うことさえ許されないのならば、わたしに子どもの障害を受容する日は来ない。

って話を夫にしたところ、意外な答えが返ってきた。

「“ジュヨウ”って何? なんのことかわからん」

(・ω・) のんきで羨ましいわ! と思った。

そのあと療育の先生に「受容が足りなくて苦しい」という話をしたところ、発達に遅れのある子が行事で公開処刑にならない方法を考えるのも”合理的な配慮”のひとつだと、幼稚園まで直接連絡してくれた。

ホッとした。わたしにも味方がいるんだと思って。

困ったとき、悲しい気持ちになったときは、相談したほうが良いよ。解決しないときもあるけれど、「味方がいる」と気づくだけで気持ちが軽くなるから。

障害児育児は孤独だと思う。見渡しても同じ状況の人はほとんどいない。でも、見えないだけでたくさんいるのよ、本当は。

なーんにも困っていないような顔して生きているだけなんだから。

ほな、また(・ω・) よしなにー。

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