【拒絶のドクターショッピングと障害受容】発達凸凹4歳息子と

ドクターショッピングは拒絶だけではなく、障害受容へ向けた前向きな行動であることもある。専門家の曖昧な言い方が障害受容を遅らせるのではないか、っておはなしです。

こんばんは、はたのんです。このブログは、不登校訪問専門員とひきこもり支援相談士の資格をもつ、アスペルガー症候群当事者はたのんママが、発達凸凹のある息子といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC 灘 伏見さん


 発達障害の障害受容とドクターショッピング 


ドクターショッピングというのは、自分が望む診断を受けるまで、複数の医師や専門家で相談を繰り返す人のことをいいます。

ドクターショッピングに対して、「発達障害ではない」「グレーゾーン(正常の範囲内)」と言ってくれる先生に出会うまで、何度も相談を繰り返す。つまり、「拒絶のドクターショッピング」 障害への受容ができていない状態。適切な関わりができていない。そのように考える人が多くいます。

ですが、自分が発達の遅れがある子どもを育てるなかで、かならずしも「拒絶」だけの理由によって、ドクターショッピングをするのではないのだと気づきました。

障害受容の過程を段階ではなく、肯定と否定の両面をもつ螺旋状の過程と考えることは親が現実を認識できず障害を受容できない状態を理解することに役立つ。

たとえば、いわゆるショッピングと呼ばれる複数の医療・相談機関や療育機関を訪ね歩く親がいるが、それは障害を否認するための行為だとみなされてきた。

しかし、それが障害を確かめる積極的な行動である場合も多い。

従来、否定的にとらえられてきた親の行為もその裏側に現実を認めようとする親の葛藤が存在するといえるのではないだろうか。

参考文献:
親の障害の認識と受容に関する考察–受容の段階説と慢性的悲哀 (親と子の発達臨床 特集)
中田 洋二郎 (早稲田心理学年報)

わたしの場合は、当時3歳の息子に発達の遅れがあると指摘されたとき、複数の発達相談を受けました。わたしは「普通」という言葉を求めていたのではありません。むしろ、その逆でした。「様子見しよう」ではない、先へ進むためのアドバイスを求めて、複数の臨床心理士さんに相談したのです。

その結果として、はっきりと息子の発達特性を指摘する専門家(臨床心理士さん)に出会い、発達検査や療育を受けるという新たな一歩を始めることができました。

複数の専門家に相談を繰り返した、わたしの行動が「拒絶」のドクターショッピングだったはずがありません。あのときのわたしには、あと少し、背中を押してくれる人が必要だったから、受容に向けての積極的な行動であったと思います。


 障害受容の4段階 


発達障害などの問題を抱える子どもをもつ家族は、いくつかの段階をふんで、子どもの障害を受容すると考えられています。

【障害受容の4段階】

(1) 否認 : 障害(病気)を受け入れられない、間違いではないかと感じる

(2) 怒り、悲しみ : なぜ、自分だけが

(3) 諦め、受容 : 発達障害の特徴や対応を理解しようとする

(4) 希望 : 前向きに考え始める

4つの段階を、まっすぐ進むのではなく、ときには戻りながら、発達障害のある子どもを受け入れるのです。


 曖昧な言い方が、親の障害受容を遅らせるのでは 


わたし自身が、子どもの発達相談、療育に関わりをもつようになり、戸惑う場面が多くありました。理由は、発達相談や療育の先生は、親への配慮のためか「曖昧な言い方」をするからです。

確定診断の困難さや専門家の説明の暖昧さが障害の否認の傾向を助長している場合が少なくない

参考文献:
親の障害の認識と受容に関する考察–受容の段階説と慢性的悲哀 (親と子の発達臨床 特集)
中田 洋二郎 (早稲田心理学年報)

「お母さんの気持ち次第」「お母さんは、どう思う?」など、家族が混乱する言葉が繰り返されます。人によって、深刻に受け止めたり、楽観的に受け止めたり、差が生じる表現です。自分に判断できないから専門家に相談しているのに、素人に判断を求めてくるの。

(・ω・) 発達の”遅れ”と表現するのも、違和感がある。

家族のショックを和らげるために曖昧な言い方をするのだろうが、「遅れ」と言われたら、追いつけるんだ(治るんだ)と考える人もいる。いずれ、追いつけない、治らないことに気づいたとき、一段と大きなショックを受けるのではないだろうか。

わたしは自分自身がアスペルガー症候群であり、支援に関わった経験があるので、発達障害について、少し知識があります。発達障害は脳の特性なので「治る」ものではない、という認識です。一方で、集団療育での会話から考えて、発達障害について、本当に何も知らないまま「療育をがんばれば、治るんだ」と信じて頑張っているお母さんもいるように感じます。

(・ω・) わたしも、子どもが療育を受け始めたとき「発達障害は治る病気になったんだ」と勘違いした。はじめに療育の説明をしてくれた人が、曖昧な表現をしたから治るんだと思った。

はじめから、正確な情報を伝えてほしい。ショックを受けたとしても、それを望んでいる人が多くいるのではないか。曖昧な表現のなかで迷っているあいだ、その先にある障害受容や希望には到達できない。そして、その白黒はっきりしない、曖昧な期間が最も苦しい。気持ちを先へ進めるために、曖昧な表現ではない「本当の見立て」を知りたい。それが、発達障害が疑われる子どもをもつ、親のニーズだと思う。

ほな、また(・ω・) よしなにー。

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