【息を吸って吐くだけで生きているのか】きょう祖母が死んだ

祖母の死をきっかけに、大学生のとき耳にした“息を吸って吐くだけで生きている”という言葉を思い出した、っておはなしです。

ふわふわ揺れる白い花とまっすぐ続く道

画像提供:mahalopukaさんによる写真ACからの写真


 息を吸って吐くだけで“生きている”といえるのか 


わたしが大学生のころです。とある集まりで、生と死についての話題がありました。

テレビで“息を吸って吐いてくれるだけで、ありがたい。生きてくれている”という人がいたんだけれども、本当にそうだろうかと思った。でも、実際に自分の母が入院して、そろそろ亡くなりそうだという時期にきたとき、あのときの言葉が響いた。息を吸って吐くだけでも、母は生きている。少しでも長く、生きていてほしいと思った。

わたしの母ほどの年齢の人が、そのように話していました。わたしは“息を吸って吐くだけで生きている”という言葉に、ピンときませんでした。息を吸って吐くだけで、生きているとは思えない。生きているというのは、息を吸って吐くだけじゃなく、言葉をかわせることが大事なんだ。大学生のわたしは、そう思ったのです。


 きょう、祖母が死んだ


わたしの祖母が亡くなった。知らせが届いたのは、21時を少しだけ過ぎたときでした。

数日前に母と連絡をとったときには、「心配するほどじゃないよ」と話していたのですが、どうやら真実は違ったようです。遠方に住む叔母、つまり祖母の娘さんたちが短期間のあいだに何度も入院先を訪れたのは、そろそろお別れのときがくるのを知っていたからでしょう。

姉からの連絡を受けて、わたしも明日の朝一で地元に帰省する予定でした。ですが、父に断られました。「こういう時期だから、都会にすむ若者は参加しないで」と。

こういう時期というのは、いわずもがな、コロナウィルスです。そうです、コロナウィルスの心配がなければ、わたしも祖母のお見舞いに出かける予定でした。コロナウィルスの影響でお見舞いの受付ができないために、(退院してから会えばいいか)と、最後の再会も果たせないまま、祖母と別れることになりました。


 “生きてくれている”という言葉が、いまは少しだけ心に響く 


祖母が死んだ。わたしには実感がありません。お見舞いに訪れた姉の話によると、息をするだけで精一杯にみえたそうです。

祖母は“息を吸って吐くだけで、生きていた”のです。言葉をかわすことはできない状態でも、息を吸って吐いてくれるだけで、生きていた。姉も母も父も、その状態が長く続くことを望んでいたのです。

わたしは、息を吸って吐くだけの祖母を見ていません。言葉をかわす存在であった祖母から、生きていない祖母へと、一段飛ばしで時間が過ぎました。だから、息を吸って吐くだけで、生きているんだという実感がもてないままです。

ですが、大学生のときから、祖母が死んだきょうまでのあいだに起きた出来事によって、あのときとは違う気持ちになっています。

息子三歳が生まれたとき。0歳の息子とは、言葉をかわすこともないし、目線もあわない。一生懸命に息を吸って吐いている状態でした。でも、わたしは0歳の息子を“生きている”と認識していました。生きているかどうか考えたこともないぐらい、当然に生きていました。

だから、大学生のとき耳にした“息を吸って吐くだけで、ありがたい。生きてくれている”という言葉が、いまは少しだけ心に響きます。

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