アスペルガー症候群(発達障害)の当事者が「能力の再分配」について考える。ヒトには、自分で意識する変化だけではなく、無意識のなかで、より良いほうへ変化する力があるはずだ、っておはなしです。
こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。
画像提供:写真AC acworksさん
当事者研究とは
「当事者研究」とは、アスペルガー症候群(発達障害)などの特性をもつ人が、医師や心理ではない、当事者としての経験から、考えをまとめることです。
きょうのテーマは【自閉傾向のある人による能力の再分配】について。
【自閉傾向のある人による能力の再分配】アスペルガー当事者研究
わたしのまわりにいる、社会に馴染むアスペルガー症候群(発達障害、自閉傾向)の大人は、高校生や大学生ぐらいの時期に、性格や考え方、コミュニケーション能力が大きく変化した、別人になったと感じている人が少なからずいる。わたしは、これを「能力の再分配」がおこったと考えている。
きょうは「能力の再分配」について、当事者研究をしようと思う。
わたしの人生を振り返ると、高校以前とその後で大きく変化する。正確には、不登校ひきこもりになる前と、その後。
わたしが不登校ひきこもり状態にあるとき、わたしのなかでは「能力の再分配」が起こった。
「能力の再分配」というのは、わたしのなかにある可能性のすべて、100パーセントの能力をどのような分野に振り分けるか、細胞たちが再び考えることである。
おそらく、1回目の能力の分配が行われたのは、生まれる前。コミュニケーション能力はいらないので、他の能力に振り分ける。そう決まったのだと思う。
それから、しばらくの時間が過ぎて、わたしは高校生になった。わたしのなかで「あれ?」と違和感を抱くようになった。
自分以外の人に、気持ちがあることに気づき始めたのだ。同時に、自分の気持ちにも気づいた。自我の目覚めというのかもしれない。わたしと他者が違う考えをもって生きていることに気づいてしまった。
そこから、脳のなかがぐるぐるするようになり、いろいろな知識が繋がらなくなった。まず、勉強ができなくなった。考えをまとめることができない。
いや、違う。わたしは何も考えていなかったのだと思う。知識を吸収して、引き出していただけだった。わたしが考えていたことは、何もなかった。物語の登場人物の心情を記憶して「引き出していた」だけだった。まわりでおこる出来事に結びつく言葉や動作を。
Aという出来事がおこったときは、Bという気持ちになる。と記憶していたのに、人によって、CになったりDになったりEになったりする。そのことにやっと気づいた15歳。
自分と他者が違う感覚で動いていると気づいて、戸惑った。わたしが知らない不規則な変化によって、人々が動いていた。
脳のなかがぐるぐるを繰り返すうちに、日常生活を続けることができなくなり、不登校ひきこもり状態になった。1ヶ月ほど、ずっと布団で寝ていた。動けなくなった。
まわりの人、家族が話しかける言葉が、よく分からなくなった。聞こえているけど、右から左へ流れていった。頭のなかが忙しくて、自分の外でおこる出来事に対応できなくなった。
しばらくすると、わたしは元に戻った。「元に戻った」は間違い。違う人間になったのだ。
わたしがぼんやりしているあいだに、脳のなかで、身体のなかで、細胞たちが考えていたのではないか。結果、わたしには「能力の再分配」が起こった。
「普通に」コミュニケーションがとれるようになったのだ。
たとえば、普通に会話ができるようになった。それだけ。それだけのことが、それまでのわたしにはできなかった。
友達もできた。緊張せずに「普通に」話せるようになった。心から口まで、言葉がすーっと移動するようになった。あいかわらず空気は読めないが、会話ができた。一方通行ではない、本物の会話だ。
しかし、「能力の再分配」によってできなくなったこともある。たとえば記憶。以前は、異常な記憶力があったけども、いまは無い。
なお、記憶力が弱くなったのは、わたしにとって良い変化でもあった。嫌な出来事も、小さな失敗も、以前ほど強力に思い出さなくなったから、幸せを感じる日が増えた。
きっと、わたしにとって「能力の再分配」は価値があるものだった。わたしの細胞たちは、良い選択をした。
ヒトは幸せになるために生きているという。自分で意識する変化だけではなく、無意識のなかで、より良いほうへ変化する力があるはずだ。
最後に、わたしの人生に影響を与えた、非常に印象深い言葉のひとつを紹介する。
生命を知るための研究ははるか昔から行われてきた。
生物は細胞から成り、細胞の中で何が起きているかも分かってきた。
しかしその知見をもってしても、いまだ人間は生物どころか細胞一つ創るにも至っていない。
それはつまり、「分かっていない」ということではないか--。
立教大学 理学部 生命理学科 / 教授 末次 正幸
わたしに能力の再分配がおこった前後に、テレビのドキュメンタリー番組で話していた。世界中の研究者を集めても、細胞ひとつ未だに作ることができない。だから、どんな人間にも価値があるんだと。非常に印象深い言葉だった。
ほな、また(・ω・) よしなにー。