アスペルガー症候群(発達障害)当事者が、わたしの目線が人と合わなかった理由について考えた、っておはなしです。
こんばんは、はたのんです。このブログは、不登校訪問専門員とひきこもり支援相談士の資格をもつ、アスペルガー症候群当事者はたのんママが、発達凸凹のある息子といっしょに成長する記録です。
画像提供:写真AC ぴぴふぉとさん
当事者研究とは
「当事者研究」とは、アスペルガー症候群(発達障害)などの特性をもつ人が、医師や心理ではない、当事者としての経験から、考えをまとめることです。
きょうのテーマは【わたしの目線が人と合わなかった理由】について。
【わたしの目線が人と合わなかった理由】アスペルガーの当事者研究
発達障害のある子どもの特徴として「目線が合わない」と表現されることが多い。例にもれず、アスペルガー症候群(発達障害)である、わたし自身も、そうであった。
「なぜ、子どものころは、まわりの人と目線を合わせなかったの?」 と、3歳息子の発達相談を担当する臨床心理士さんに質問された。
なぜ? 逆に、なぜ人と目線を合わせるの?
子どもの頃は、そのように感じていたはずだ。いまならば、分かる。相手の表情をみるとか、コミュニケーションのために目線を合わせるんだということが。
子どものときは、そういう感覚がなかった。人と目線を合わせないようにしようと考えたこともない。まわりの人の表情が気になったことはないし、目線を合わせることでコミュニケーションがとれるとも感じていなかった。だから、目線を合わせなかったとしか言いようがない。
結局のところ、コミュニケーションに興味がなかったんだと思う。わたしは頭のなかでおこるファンタジーのなかを生きていたので、現実世界に興味がなかった。
中学のとき、朝礼で校長先生が「喋っている人の顔を見るのが大事」と言った。だから、わたしは喋っている人の顔をよく見ていた。表情を見ていたわけではない。本当に顔を見ていた。ただ、それだけ。
(・ω・) 授業で喋っている先生の顔を見ていたら、テストで100点が取れた。だから「喋っている人の顔を見ていたら、記憶力が良くなるんだ」と思っていたけども、たぶん関係なかった。記憶力が良かっただけ。
アスペルガー症候群(発達障害)である、わたしは、言葉のあやが分からなかった。校長先生の話は、喋っている人の表情を見て、本当に伝えたいことを感じとるのが大事という意味があったのだと思う。たぶん。
そういえば、同級生から「どうして、敬語なの? 同級生なんだから、タメ口で話そうよ」と言われたことがある。それに対して「人と仲良くなりたいと思っていないから、敬語で話している。気にしないで」と、明るく笑顔で返したことがある。異様な空気になったのは、いうまでもない。
(・ω・) 相手は、わたしが敬語で話す理由を知りたいんだと思ったの。仲良くなりたいんだとは、考えていなかった。わたしのなかに、人と仲良くなりたい気持ちが、あまりなかったから、まわりの人もそうだと思っていた。
子どものころの、わたしにとって、まわりの人々は、石ころと一緒だった。近くにあることには気づいているけれども、拾って大事にしようとも思わないし、壊して粉々にしようとも思わない。そこにある、それだけ。特に気にならない存在。
自分のなかで起こる変化に興味があったけれども、自分と他人とのあいだで起こる変化には興味がなかった。だから、コミュニケーションにも興味がなかった。
子どものころ【わたしの目線が人と合わなかった理由】は、コミュニケーションに興味がなかったから。で、完結。
余談ですが、大学生あたりから、まわりの人と自然にコミュニケーションをとるようになりました。何がきっかけだったのだろうか。考えがまとまったら、ブログに書こうと思います。
ほな、また(・ω・) よしなにー。