【公園に行かないのはかわいそう?】安心は多数決では得られない

コロナウィルスが心配で公園遊びを自粛したら「かわいそう」と言われ悩んだけれども、安心は多数決で得られるものではないから、自分にとって適した答えを選べばいいんだと気づいたっておはなしです。

空を飛ぶたくさんの風船

画像提供:CO27さんによる写真ACからの写真


 「公園ぐらい連れて行ってあげなよ。かわいそうだよ。」に屈する 


2020年1月、中国で新型肺炎が流行っているというニュースが始まったころから、わたしと息子は家を出ない生活を続けていました。買い物はネットスーパーを利用して、まったく自宅から出ていなかった。

3月になり、夫の在宅勤務が始まったことで、公園に遊びに出かけるようになりましたが、どこか後ろめたい気持ちがありました。保健師さんは大丈夫と言ったけど、本当に良いのだろうか、という気持ちは消えなかった。そこへ外出自粛が始まりました。こりゃもう、公園に出かけている場合ではない。夫と相談して、そう決意した。

(・∀・) おうち遊び、極めるぞ。おやつだって、毎日手作りするぞ。

だが、しかし。家族以外から、わたしの気持ちを揺さぶる言葉がどんどんやってきたのです。

定期的に電話連絡がくる地域担当の保健師さん。「さいきんは、外に出かけていないです。」と話すと、「公園は大丈夫だから、連れて行ってあげて。小さな子どもは重症化しないから、心配しすぎないで。ずっと家にいたら、かわいそうよ。」と。

|ω・) “かわいそう”と言われると…… 心が痛む。わたしの決意よりも、子どもを育てる専門家である保健師さんの意見のほうが重みがある。

(公園に行かないのは、かわいそうなのだろうか。)と悩んでいたときに、母からも電話がありました。

「しばらく公園には行かないことに決めた。」と話すと、「公園ぐらい連れて行ってあげなよ。狭い家に閉じ込められて、かわいそうだよ。」

|ω・) う…… “かわいそう”のダブルパンチ。我が家は賃貸で、確かに狭い。三歳息子が走りまわれるような場所じゃない。

(そうかなあ。わたしが間違っていたのかなあ。)と悩んだ結果、(家の外に連れて言ってあげなきゃ、かわいそうだ。)という気持ちが膨らみ、翌日は公園へ出かけました。


 公園は本当に安心できる場所なのだろうか 


公園は子どもを連れた人々で賑わっていました。保育園の帽子をかぶった子どもたちを連れた集団も、いつも通り、あちらこちらで遊んでいました。(わたしが心配するほど、世間の人々は心配していないらしい。気にしすぎていたのかもしれない。)と感じました。

息子三歳とふたり、お砂場で遊んでいると、隣に同じくらいの子どもを連れた、お母さんがやってきて、声をかけられました。悩んでいることが似ているなあと思いつつ話していると、びっくりする話が。

「家族が濃厚接触者になったんですけど、検査してもらえないんです。」「保健師さんから公園は良いと言われたので来たんです。」「自分も風邪の症状があったけど、いろんなところに連絡しても検査してもらえなくて……。やっと治りました。」というのです。

そのあとすぐ、相手の子どもさんがお漏らしをして、急いで帰っていきました。(濃厚接触者になっても検査してもらえない人がいるんだ。一緒に暮らす家族が濃厚接触者になっても、公園やスーバーに行って、普通の生活ができるんだ。思っている以上に、外の世界にはコロナウィルスと交わりのある人が多いのだろうか。)と、公園で遊ぶことに対して、再び不安を抱きました。

自宅に戻ると、(やっぱり不安だ。コロナウィルスは症状がなくなっても、なかなか退院できないという。もしかして先ほど話していた女性が本当に感染していたら、治っていない可能性もあるし、非常に危険な距離だったのでは……。)という気持ちがモクモク。(密室ではない公園で、マスクをしていたとはいえ、けっこう長いあいだ会話したなあ。息子三歳は、マスクを外していたはず。他の子どもたちもマスクしていないから、大丈夫だと思っていたけど、本当に公園は三歳息子に適した遊び場所なのだろうか。)と、公園へ行ったことを後悔。


 公園自粛の決意、外遊び推進派の母に対抗する言葉を得る 


帰宅してから、公園で家族に濃厚接触者がいる人と話したと夫に報告すると、「コロナは身近に迫っておるな。」と、改めて危機感を抱いた様子でした。

「みんなが“かわいそう”と言うから、公園に連れて行かないのは悪いことなんだと思っていたけど、本当に悪いことなんだろうか。」と、質問を投げかけました。すると、「迷っているなら、行かないほうが良いよ。」との返事が。

(・∀・) そうや、そうやな。まわりの言葉に惑わされて、うっかり自分を見失っておったわ。まわりの人に“子どもがかわいそう”と言われても、わたしは公園に行かない。コロナウィルスが落ち着くまでのあいだ、堂々とおうち遊びを極める。創作活動に励む。

決意を新たにした翌日のニュース番組で、「公園も危険がある。」「地域によっては遊具の利用を禁止している。」という話がありました。わたしには武器ができました。次に母から電話で「ずっと家にいるのは、かわいそう。」攻撃が来たときには、「ニュースで公園の遊具が危ないって言ってた。」と、声を大にしてお伝えしたい。

散歩はたまに行くかもしれない。でも、子どもが密集しやすく、人から話しかけられやすい公園は避ける。スーパーも行かない。引き続きネットスーパーを活用する。それがわたしにとっての「安心」である。


 自分にとっての「安心」は多数決では得られない。 


「安心」は、自分の気持ちの問題だから、多数決の意見では決められない。ママやパパが納得する暮らしが正解だと思う。だから、わたしは公園で思いっきり遊ぶよりも、家のなかでできる遊びを続けて安心したい。外で遊びたいと主張する息子三歳にとっては、かわいそうな選択かもしれない。でも、いずれ、また外を走りまわれる日は来るはずだから、いま生き急ぐ必要はないと思う。それが、わたしにとって適した答え。

昨年、息子三歳が風邪をひいて、嘔吐したことがありました。もしもコロナウィルスにかかったら、苦しいなか、ママもパパもいない病院に置いていかれてしまう。想像したら、そっちのほうがかわいそう。

まわりの意見に押されて(子どもを公園に連れてってあげなくちゃ。)と、本来の気持ちとは異なる行動をとっているお母さん、お父さんがいたら、自分が「安心」できる、納得できる行動をとるのが良いよ。正解は誰も知らない。みんなが良いというものではなく、自分が満足できる答えを貫いてください。わたしもオッケー、他の意見をもつ人もオッケー。答えはみんな違っていいのです。

わたしは、三歳息子にとって最大の幸せを、ママやパパと一緒に暮らせることだと考えています。コロナウィルスに感染していないから、ママやパパと一緒に生活できるのです。窮屈な毎日だけども、いましかできない部屋ごもり生活を楽しむ工夫を考えようと思う。明日もがんばる。

ほな、また(・∀・)よしなにー

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