【最高の生きかた、自由とは何か】純粋理性批判、カント

「純粋理性批判」カントが考える最高の生きかたや、やりたいことをやるではない“自由”についての解釈、っておはなしです。

自由に咲き誇るピンクのバラ

画像提供:七彩さんによる写真ACからの写真


 欲望に従う = 自由 ではない


眠くなったから寝る。おなかがすいたから、ご飯を食べる。自分のやりたいことをする。それが“自由”だと考えている人が多いと思います。

ですが、「純粋理性批判」の作者であるカントは、欲望にしたがって行動することは“自由とはいえない”と考えていました。

眠い。だから、寝る。これは“眠い”という原因によって、その後の行動が決められている。自由じゃない。“眠い。でも、眠らない”これが本当の自由なんだと主張したのです。


 カントが考える、最高の生きかた


「純粋理性批判」の作者であるカントが考えた最高の生きかたは、“正しいと思う行動をする”ことです。

たとえば。ダイエット。おなかがすいたから食べよう。ではなく、おなかがすいた。食べたい。でもダイエット中だから、食べないのが正しい選択。だから、おなかがすいた。けど、食べない。これがカントにとっての“自由”です。

おなかがすいた。という原因によって、そのあとの行動が決められない。自分が望んでいる行動をする、それが自由であり、最高の生きかた。


 自由にいきる = やりたいことをやるではない 


わたしのまわりでは、「まだまだ若いんだから、自由にやったら良いんだよ」と、悩む若者にアドバイスする人が多いです。

“自由”って言葉を、“やりたいことをやればいい、そしたら未来が開ける”と解釈している人と、“正しいと思う行動をすればいい、そしたら未来が開ける”と解釈する人がいます。若い人の多くは前者の“やりたいことをやればいい、そしたら未来が開ける”そう感じていると思う。

わたし自身も、「純粋理性批判」カントを学ぶまで、自由に生きるとは、自分の欲望に従って、やりたいことをやって、それを続けることで明るい未来になるという考えなんだと感じていました。

自分のやりたいこと、欲望に従うだけではダメなんだ。自分の願望とは違っても、正しいと思う行動を続ける。これが大事。

正しいと感じる行動を続けると、気持ちが平和になる気がします。欲望に従った行動は、楽しいけれども、罪悪感をもつこともある。心のどこかに(本当は、違う行動をとったほうが良かったんだろうなあ)って感じがち。

たとえば。昼寝。眠い。だから、寝よう。と、息子と一緒に昼寝してしまう日がある。昼寝は気持ちがいい。起きた直後は、すっきりした気分になる。でも、そのあいだにやる予定だった家事が残ってしまうし、中途半端な昼寝は夜の睡眠をさまたげる。(昼寝せずにテキパキ動いていたら、もっと快適な夜を過ごせたかも)と、なかなか眠れない夜になる。

自分らしく、自由に生きたら良い。でも、それは“やりたいことをやって過ごす”ではない。欲望のしたがって生きるのではなく、自分が正しいと思う行動をとって、“自由”に生きる。

(・∀・) 興味深い考えかた。いままで考えたことがなかったけど、たしかにそうだと思った。わたしの人生にも、取り入れたい。

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