【お米がない日は麺を食べれば良いじゃない】困難を予期しない

コロナウィルスの影響でスーパーからお米が消えたことをきっかけに、夫婦は考えかたが違うからおもしろいんだと再確認したって、おはなしです。

閃いた電球

画像提供:akizouさんによる写真ACからの写真


 スーパーからお米が消えた


コロナウィルスによる影響なのか、わたしが利用しているネットスーパーや近隣のスーパーでは、お米の販売が無くなってしまいました。

昨日、トイレットペーパーやティッシュなどの紙製品が店頭からなくなったとのニュースを読んでいたのですが、まさかお米までなくなるとは思わず、のんきに過ごしていました。早めに買っておけば良かった。

(・∀・) お米を余分に買う習慣がなかったので、さっそくピンチ

田舎で暮らす両親に相談して分けてもらうか、楽天などで販売しているお米農家さんのお米を買うか、うぬうぬと悩んでいたところ、夫が言いました。「お米がないなら、麺を食べれば良いじゃない」と。

お米がない生活なんて、わたしには耐えられないよ。と反論したけども、わたしは麺も好きです。毎日、麺でも大丈夫かもしれない。息子二歳も麺が好き。あれ、意外とみんなハッピー。

(・∀・) お米がない生活なんて、なかなか体験できない。来週は麺生活しよう。

我が家の米不足は、思いのほか、すんなり解決しました。わたしと夫の予想では、お米は秋に収穫して翌年の秋まで食べるものだから、在庫が急になくなるなんて、ありえない。次の入荷も、そのうち始まるだろうし、普段より多めに発注するだろうから、在庫不足は解消されるはず。お米は長期保存に適さないから、買いだめするにも限度がある。来週、再来週には、いつも通りに近所のスーパーでお米が買えるだろうと。

1週間や2週間のあいだ、毎日 麺料理が食べられると思うと、ウハウハです。麺料理を作ると、料理を手抜きしたような気分になるから避けていたけど、来週は堂々と麺料理が毎日食べられる。ウハウハ。さっそく美味しい麺料理のレシピを集めないといけません。小忙しいです。


 トイレットペーパーやティッシュが不足したことで良い影響があった 


我が家では、子どものおしりふきの便利さに気づいて、なにかと多用していました。食後に子どもの手をふくとか、お掃除に使うとか。ティッシュも、そう。息子二歳が牛乳こぼしたときにも、ばんばん使っていた。

トイレットペーパーやティッシュ、おしりふき、オムツは、いつも多めに購入しています。まだ余裕はあるのですが、次はいつ購入できるかわからないと思うと、いままでより慎重に利用するようになりました。

(・∀・) 食事中の息子二歳には、専用の小さいハンカチを濡らして使うようになった。こぼしたときや、食後の手ふきなど、大活躍。

息子も日々成長していますので、0歳や1歳のときほど、ベトベトになりません。小さいハンカチで十分間に合うことに気づきました。いままで資源の無駄使いをしてたかもしれない。

オムツに関しては、もし在庫がなくなったら、オムツ卒業にしようかと思っています。息子二歳の気分でトレーニングパンツはいたり、トイレ行ったりしているので、自分のタイミングでオムツ卒業するのが理想なんだけども…… ないモノは仕方ない。


 未来のことは、未来で悩む。困難を予期しない。


わたしは、未来の予想をして悩むことがよくあります。一方、わたしの夫は、未来を想像して悩む日が無いそうです。困難を予期したとて、そのほとんどは実際に起こらないのだから、悩み疲れるだけだという考えです。

(・∀・) でも、わたしが不安を感じてなんだかんだと対策を考えることは良い、慎重だから失敗することが少ないと言うてた。たまに褒めてくれる。

わたしが未来予想をするとき、最悪な方向へ考えが進んでいく傾向があります。いったん「死ぬ」に行きつくことが多い。今回は餓死するんじゃないかと思っていた。最終的に、いやいやそんなはずはないと気づく。一年分のお米は秋に蓄えられている。いつも翌年の秋まで販売するのだから、この時期に在庫不足になるはずがない、一時的な不足だなと。

「お米がないなら、麺を食べれば良いじゃない」という発想も、わたしにはなかなか出てこない。わたしは、どうしたらいつも通りの日常を過ごせるかという視点でしか考えていなかった。夫よ、グッジョブ。

似たもの夫婦というけれど、似ているだけじゃなくて違うところがあるから、家族はおもしろいんだなあ。

未来のことは、未来で悩む。困難を予期しない。手に入らないものを欲しがるのではなく、いまあるものを活かして陽気に暮らそう。人生がますますおもしろくなってきたぞーって思うと、いつもと違う暮らしも楽しめそうです。

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