アスペルガー(発達障害)の当事者が、方言を話さない理由について考えた、っておはなしです。
こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。
画像提供:写真AC mitomitoさん
当事者研究とは
「当事者研究」とは、アスペルガー症候群(発達障害)などの特性をもつ人が、医師や心理ではない、当事者としての経験から、考えをまとめることです。
きょうのテーマは【アスペルガーは、なぜ方言を話さないのか】について。
【アスペルガーは、なぜ方言を話さないのか】当事者研究
わたしは小さい頃、ほとんど方言を話しませんでした。
きょうは、その理由について、アスペルガー症候群(発達障害)のわたしが、当事者研究をしたいと思います。
いま現在のわたしは、関西弁を話すことが多いです。大学時代に京都で暮らすようになり、関西弁を話すようになりました。彼氏(現在の夫)が関西弁を使っていたので、自分も使うようになりました。
わたしの地元は関西弁ではない方言を使っています。そちらの方言は、あまり上手に使えません。人生の大半をそこで過ごしたというのに。
さて、このあいだに、いったい何があったのでしょうか。
幼少期のわたしと、大学時代のわたしは、中身が少し異なるように思います。高校時代、不登校ひきこもりになったときに、能力の再分配がおこったからです。
幼少期のわたしはコミュニケーション能力が、ほぼ0でした。人と話すこともほとんどなく、「声を聞いたことがない」「なにか話してみてよ」と言われることもしばしば。
能力の再分配がおこった高校時代後半には、それまでの自分が嘘のように、わたしは「普通に」コミュニケーションがとれるようになりました。挨拶もするし、会話もする。
その前後で、わたしのなかにあった感覚が大きく変化したように思います。
たとえば、共感する力。幼少期には「一緒にしたから楽しい」という感覚はなかったです。目的の行動が楽しいから楽しい。ひとりでも楽しい。誰かがいてもいいけど、一緒に楽しむ気持ちはない。
大学時代は、目的が楽しいにくわえて「誰と」その行動をするかを重要視するようになりました。嵐山に、ひとりで行くのは寂しい。仲が良い人と行きたい。仲が良い人以外の人と行くのは、ちょっと嫌。
好きか嫌いか、まわりの人と区別する、そういう感覚をもつようになりました。
方言というのは、目の前の人と仲良くなろうとする結果、相手を真似することによって覚えるのだと思います。だから、相手に興味をもっていない状態の人には理解する、使いこなすのが難しいのです。
一方、標準語は方言とは異なるルートで頭に入ってきます。教科書や本、テレビの字幕も、生活する中で文字として出会う言葉の多くは標準語だからです。
わたしは視覚優位で、耳から聞いた情報より、目で見た情報を強く認識する傾向がありました。その影響があり、わたしは標準語を話していたのだと考えています。
大学時代に暮らし始めた京都は、話し言葉だけではなく、テレビの字幕も関西弁だったり、道端のポスターも関西弁だったり、読める文字として関西弁の仕組みが頭に入ってきたので、自然と使いこなすようになったのだと思います。文字として、視覚から言葉を認識できたから。
彼氏(現在の夫)からのメールや、会話も関西弁。その影響も大きいのでしょう。
子どもは好きな人、興味のある人、お母さんや先生の行動を真似しますよね。それと同じで、わたしは興味をもった人物、つまり彼氏の言動を真似した結果、方言を話すようになったのだと考えます。
幼少期のわたしは、たぶんお母さんが好きだったけれども、方言を真似していません。自閉傾向の強い状態のときには、好きな人や興味のある人であっても、言動を真似するのは難しいのかもしれません。
まとめ。【アスペルガーは、なぜ方言を話さないのか】についての当事者研究は、「方言は話し言葉が多く、知識だけではなく、相手の言動を真似する必要があるので、覚えることも、使いこなすことも難しいから」で完結。
ほな、また(・ω・) よしなにー。