【習慣は遺伝を超えるのか】3歳からの療育に価値はあるのか

問題行動が起こる前からの療育に価値はあるのか、療育を受けると決めてからママの行動が変わった、習慣は遺伝を超えるのかへの挑戦だと感じている、っておはなしです。

ミニチュアのカエルたちが団らんしてい

画像提供:アディさんによる写真ACからの写真


 小さいころの生活習慣が大人になるまで大きな影響を与える 


数年前に、「幼児期から小学生の家庭教育調査」ベネッセ教育研究所2012-2017 において、小さいころの生活習慣が、小学校や中学校、さらには大人になるまで、大きな影響を与えると発表された。

以前は、この話題を読んでも(ああ、そうか)ぐらいにしか感じなかったけれども、いまは違う。

息子3歳がこれから参加する“療育”というものは、「習慣は遺伝を超えるのか」への挑戦なのだと考えるようになった。だから、こういった記事が、いままでよりも、勢いよく目に届く。


 3歳からの療育に価値はあるのか


「3歳からの療育に価値はあるのか」 いまは、まだ分からない。としか言えない。

だがしかし、わたしが考えるように、“こだわりの強さ”が成功体験の少なさから起こるのだとすると、問題行動の少ない時期からの療育には、とても意味があると思う。

アスペルガー症候群と診断されたわたしの場合(あれもできない、これもできない) それに気づいたことで、自分が上手にできる方法を、おまじないのように何度も続けていた。

繰り返される失敗体験と成功体験によって、ひとつの方法を異常に好む考えかたができたのである。

わたしのとっての“こだわりの強さ”は、生まれもった「脳の特性(遺伝)」ではなく、「習慣」の積み重ねによって生まれたように思う。

(いろんな方法で上手にできた)って経験が増えると、特定の行動にこだわる理由がなくなる。失敗体験も増えないから、新しいやりかたへの拒絶感も少ないであろう。

だから、コミュニケーションに関して問題行動の少ない時期(3歳)からの療育には意味があるのだと考えている。


 習慣は遺伝を超えるのか


“こだわりの強さ”については、療育で成功体験を増やし、失敗体験を減らす(防ぐ)ことによって、特性が薄れるのだと考えているが、ほかの部分においてはどうなんだろうか。

たとえば、手先が不器用なところ。自宅の遊びで、はさみやのりを使っているので、それについては滑らかになってきた。クレヨンも、だんだん馴染んできたような。

(・ω・) 何度も経験する、繰り返す(練習する)っていうのが大事なんだと思う

コミュニケーションについても、何度も経験する、繰り返すことで、発達特性が薄れると思う。だがしかし、コミュニケーションを、家庭で練習することは難しい。決まった相手とであれば、お互いに無言の意思疎通、いつもの“あれ”が通じてしまうので、コミュニケーションする必要がないからだ。

だから、療育で、いつもと違うけども、頻繁に出会う大人や子どもと触れ合うのは、良い経験だと感じる。

普通に出会ったら、こまかく様子を見ることもないし、「ここを、こうしようね」など、コミュニケーションの方法を上手にうながしてくれる場面も少ない。“うながされる”ではなく、理由は分からないけど“怒られる”ってなったら、コミュニケーションが苦手になって当然だ。

いずれにしても、「息子3歳が何を苦手とするのか、知っている」ことが、重要なんだと感じる。発達検査を受けていなかったら、手先が不器用だなんて、まったく気づかなかったように思う。

(・ω・) 息子3歳は、むしろ手先が器用なんだと思っていたよ。親バカだった。思い込みって、怖い。

発達検査で指摘されてから、息子3歳を、よーく観察すると、本当に手先が不器用。「できない」って騒いでいるときは、手先の細かい動きが必要なことばかりなのよ。(甘えているんだなあ)と思っていたけども、本当にできないんだってことにも気づいた。

|ω・) たまに上手にできるときっていうのは、めちゃくちゃ集中して、がんばっていたんだなあ。当たり前にできるんだと思っていたよ。


 療育を受けると決めてから、ママの行動が変わった 


息子3歳の発達凸凹を指摘されてから、わたしの行動は大きく変わった。接しかたが変わった。「当たり前じゃないからな」ってことなんです。昔、加藤浩次さんが叫んだ言葉が、とっても身に染みる。ほんと、それにつきる。

息子3歳がカンシャクを起こすことも、なくなりました。ママたちが、「自分でやりなさい」って言わなくなったからだと思う。不思議なことに、何も言わなくなってからのほうが、自分でできることが増えた。

(・ω・) 靴を、ひとりではくようになった。くつしたも、服も、ズボンも。おでかけの時間になったら、自分で準備している。ぼうしもかぶる。マスクもする。水筒にお茶を入れて、かばんに運ぶ。楽チン。

わたしは、正直なところ、「療育を受けるほどでもない」って言われるんだと思っていたの。でも、発達検査の結果を見て、すぐに療育の手続きが始まった。(息子3歳には、療育の必要があるほど、ほかの子と違うんだ)って気づいた。それが、わたしのなかで、とても大きい出来事だった。

甘えて、やらないんじゃなくて、本当にできなかったんだ。その気づきは大きい。

「甘えさせてたら、いつまでたっても、できないよ」って、まわりから言われて、厳しくしないとダメなんだ。これが躾ってことか。って、勘違いしていた。息子3歳のペースをないがしろにしていた。

|ω・) 無知だった

療育は、月に何度か受けるペースらしい。大部分は自宅で過ごすわけなので、「習慣は遺伝を超えるのか」への挑戦は、我々の日常への挑戦でもある。

(いっぱい遊んであげよう)そう思って、たくさん出かけた。一日中、公園や児童館、年間パスポートをもっている屋内施設へ、でかけた。家事、特に料理をおろそかにして、総菜を多用していたところ、「我が家の栄養がピンチ、野菜不足」と夫に言われてしまった。

(・ω・) おっと、いけねえ。バランスが大事。1日3時間はおでかけ、残りは家事しつつ、室内遊びしてる。ちょうど良いバランスを保っている。レトルト総菜を使う機会は、ぐんと減った。食費も減った。ラッキー。

息子3歳も、料理のお手伝いを好んでしてくれるので、手先を動かす練習になっていると思う。そろそろ、子ども用の包丁を、本気で探す。クリスマスプレゼントにする。

ほな、また。よしなにー。

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