【おうち療育(103)終わり、費やした時間だけの価値があった】

本人の成長によるものか、おうち療育に取り組んだ成果か、正解が分かる日はこないけれども、そのどれもに、費やした時間だけの価値があったのだと、わたしは信じていたい、っておはなしです。

こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC みらー♪さん


 【おうち療育(103)終わり、費やした時間だけの価値があった】 


小学生になった息子の、おうち療育を終わりにします。公的機関の療育が終わったので、同時に家庭での療育も終わります。

(・ω・) 子どものことを考えるのは、日中だけで良い。息子6歳が寝たあとは、自分の好きなことを考える時間にする。

当時3歳の息子に発達の遅れがあると言われてから、臨床心理士さんの言葉を信じて、小学校入学までに「ひらがな、数字」の習得を目指して取り組んできました。

目標は十分達成されました。

本人の成長によるものか、おうち療育に取り組んだ成果か、正解が分かる日はこないけれども、そのどれもに、費やした時間だけの価値があったのだと、わたしは信じていたいです。

これから何を頑張るかは、息子が決める。いつまでも親が手を引っ張って、子どもの未来を示してはいけないと思うから。

匿名とはいえ、自分ではない人間の情報を細かく発信するのは良くないなとの気持ちも生まれたので、就学以降の情報は極力出さないようにしたい。いずれ本人が読む可能性も否定できないですし。

「便りがないのは元気な証拠」という言葉通り、息子の発達について何も書かないときは、悩みながらも元気にやっとるんだなと思っていてください。

悩まなくなる日は無いと思う。でも、それは息子が発達障害だからではなく、すべての親に当てはまることだと思う。

時間の経過によって、あのとき真実だと信じていたものが、どうやら間違っていたと感じるときもある。

過去の記事を読んでいると、最近の自分の考えとの「矛盾」に気づく。

ブログってそういうもの。だから、おもしろいのだと思う。やがて矛盾してくるところが、完成された本とは異なるおもしろさです。

(・ω・) 息子の記録としての現在進行系「おうち療育」は終わりますが、過去に取り組んだが書いていないもの、方法の紹介などは、ぼちぼち書くよ。

わたしが息子の発達の遅れを指摘されたとき、おうちで取り組めるものの情報を探していました。同じ状況にある人に届くと良いなと願いながら、ぼちぼち書いていこうと思います。

近づき、重なり、遠ざかり。子どもの発達に悩む人が読んで、やがて、子どもの成長と共に忘れていくようなブログになりたいです。

最後になりますが、わたしがおうち療育を続けた3年のあいだに気づいたことを残しておきます。

おうち療育というのは「子どものため」にするものだと考えていました。ですが、本当は「親のため」にするものだったと考えるようになりました。

人間には成長する力「のびしろ」があります。発達に遅れがあったとしても、十分に。

子どもの発達についての指摘を受けるごとに、わたしの親としての自信は失われていきました。同時に、子どもの成長についても疑いの眼差しを向けるようになっていました。

おうち療育を続けるなかで、子どもの伸びる力を再び信じることができるようになったというのが、わたしにとっての最も大きな成果でした。

きっと、みんなそう。のびしろを抱えて生きているのである。

ほな、また(・ω・) よしなにー。

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