母からの質問に納得できる答えが見つかった。4歳息子に発達の遅れがあると指摘されて、何もせずにはいわれなかった。ただ、それだけだ。
こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群当事者はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。
画像提供:写真AC Chappy☆さん
おうち療育に意味はあるの?
4歳息子が登園拒否で暴れ、わたしは育児ノイローゼになりました。しばらくのあいだ、実家へ帰省。
実家に帰ってからも、日課になっていた「おうち療育」をやっていると、母が言いました。
「それ(おうち療育)、意味あるの?」 と。
そのとき、わたしには明確な答えが出せませんでした。(いろいろやっても、結局こうなっている。療育に意味はあるのだろうか?)
母の言葉に心がザワザワしながらも、まあ日課なので、そのまま続けて、いまに至ります。
続けた結果、(だから、わたしはおうち療育を続けてきたんだ)と納得できる答えにたどり着きました。
発達の遅れを指摘されて、何もせずにはいられなかった
わたしが1年のあいだ、途切れながらも、おうち療育を続けた理由は、「何もせずにはいられなかった」から。たぶん、そう。それだけ。
4歳息子が何かをできるようになることを願ってとか、目標があったわけではない。
発達の遅れを指摘されて、何もせずにはいられなかったのだ。
あとから、あれやこれやと意味をつけようともがいているが、もっとも中心にある気持ちは「何もせずにはいられない」 それだけだった。
つまり、わたしは自分の安心のために、おうち療育を続けていたのだと思う。適切な行動ではないかもしれないけれども、自分にできることをやっているという安心があった。
意味があるかどうか分からないけれども、意味があると信じなければいけない時期だったのだとも思う。
おうち療育を続ける意味はあるの? への回答
わたしが3ヶ月前の母の質問に答えるとすれば、「療育(おうち療育)に意味があるかどうかは分からないけれども、意味があると思って始めたから、続けるつもり」がベストアンサー。
「療育(おうち療育)に意味がある」と納得して始めたのだから、公共の療育が終わるまで(小学生になるまで)は、意味があるかどうか考えずに続けようと思う。
途中であきらめちゃいけない。
途中であきらめてしまったら、得るものよりも失うものの方がずっと多くなってしまう。
ルイ・アームストロング(ジャズトランペッター)
療育(おうち療育)に意味があるかどうかは、1年前の自分が悩んだと思う。その結果、療育(おうち療育)を始めたのだから、いまは、意味があるかどうかを悩む時期では無い。
(・ω・) 意味があるかどうかの自問自答は、去年、終わりました! 今年は悩みません!
ほな、また。よしなにー。