【うっかり病んでいた】現実見せる系ブログ、希望と後悔、障害児育児

希望と後悔のあいだにある相反する感情をもって生きているよ、っておはなしです。

こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC さすらいのゴン太さん


 【うっかり病んでいた】現実見せる系ブログ、希望と後悔、障害児育児 


このところ、うっかり病んでいました。障害のある子どもを育てていると、あるでしょう? そういう時期。現実見せる系ブログです。

そういうわけで、このところ うっかり病んでいて いろんなことを思い出していました。

その過程で、違う未来もあったんじゃないか、とか、あの選択は間違っていたとか、過去の出来事に対して否定的な感情をもつ時間が多くありました。

うまくいかないときもあるやん。うまくいかないことばっかり。

結局は自分の気持ち次第なのに、自分の外に原因を求めてしまい、またそれに自己嫌悪。

そして、どうしようもない気持ちを爆発させて、なんでなんや、と怒って、謎の疲労を蓄積させる日々です。怒ると疲れるし、できるだけ怒らないように生きていたい。ほんまは。

もうこんなんじゃ無理や。希望もっても叶わない。無駄なんや。と絶望という名の爆発を繰り返していましたが、ちょっと良いことが続くと、また希望を持ってしまったり。

ちょっと油断すると、また人生に希望をもってしまう。脳に希望が割り込んでくる。

感情のジェットコースターが高低差ありすぎて耳キーンなるわって思いながら暮らしています。

怒っている日もあれば、いろいろ感謝だなあ、順調だなあと穏やかに過ごしている日もあります。

昨日と今日、ちゃんと繋がってるんかな。と疑わずにはいられないぐらい矛盾した感情をもっています。

まあ、でも、文句ばっかり言うても仕方ないし、与えられたもののなかで ぼちぼち生きていかないと。

過去の選択に関しても、そのとき そのときで最適だと思う選択をしてきたはずなんだから、いまさら気にせんでええねん。気にしても戻れるわけじゃないんだから。

そういえば、母に「関西弁が強くなりすぎて、他人みたい」と言われました。そりゃ10年以上も住んでたらそうなるよ。頭のなかで言葉が生成される段階から関西弁になっとる。

数日前に「療育いかんで良かったわ」みたいなことを書いたけど、あれはちょっと言い過ぎました。行って良かったと思う日もある。だから、悪い場所ではないことは声を大にして伝えたいと思う。

おうち療育に取り組んできたことも後悔しているわけではない。やって良かったと思う。

そのときどきで一生懸命やっていた過去の自分の言動を否定するのは良くなかった。八つ当たりやった。

うまくいかへんときは、もう全部あかんねん。数秒前までの出来事、全部あかんねん。そういう気持ちになるときは、人と話したらあかん。いろいろ考えたらあかん。愚痴しか出てこん。

つまり、きょうは何してもあかん日。さっさと寝よう。

何してもだいたい後悔するやん、人生ってやつは。そろそろ慣れてもいいはずなんやけど、まだ慣れてない。未だ人生初心者。

希望を持たずに暮らすことができれば、うまくいかないと落ち込む日も無いのだけれども、わたしはまたどうしようもなく希望を欲している。

だから明日も相反する感情のあいだから希望をさがして生きていくのだと思う。

ほな、また(・ω・) おやすみー。

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