「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」の映画の感想文です。子どもから大人になる瞬間は自己との対話ではなく、他者との関わりのなかにあることや、理想通りの人間になれなくても 自分が選べる現実のなかから どれかを選んで生きていくんだという気持ち、を感じました。
こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

【シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇】子どもが大人になる瞬間を描いた映画
テレビで放送された映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」を、やっと見ました。いつの話や、って感じなんですけども。半年ぐらい録画したまま寝かせてありまして。
(・ω・) やっと見ました。やっと。
「シン・エヴァンゲリオン」って、めちゃくちゃ頭使う系アニメだと思ってる。ぼんやり見れないから、脳のコンディション整えてたら半年かかったんや。笑
わたしはエヴァ初心者です。伏線回収がどうのこうのと解説するような高度な考察ではありません。映画に出てきた言葉、シーンの繋がりから(ほお)と思った部分を記録していきます。
わたしが最初に抱いた感想としては、エヴァンゲリオンは、やっぱり「子どもが大人になる瞬間を描いたアニメ」だったんだなという気づきでした。
テレビアニメのバーションだと、主人公が自己との対話のなかで子どもから大人になる瞬間を問う物語という印象でした。
でも、今回の映画では少し違う感想を持ちました。自己との対話ではなく、人間は他者との関わりのなかで、子どもから大人になる瞬間があるのではないか? と問いかける物語なのだ、という気づきがありました。
特に最後の10分間で、圧倒的な余韻を残す物語でした。
最後の10分間は、いろんなテイストのシーンが入れ替わりながら物語の終わりを迎えます。
最終的には成長したシンジとマリさんが駅のベンチで出会うシーンに到達します。電車を隔てた向かいのホームに、レイちゃんとカヲルくんのカップル、離れてアスカが見えます。
まるで夢オチのような展開で終わるのです。なんなん?と思って、しばらく考えていたんですけど、ハッとする気づきがありまして。
これは、子どもの頃はあんなに騒がしいと思っていた日常も、いつかは終わって、思い出に変わっていくよね? って情景を表しているのかな、と。
親しくしていたはずの人々も、いずれは他人になって、すれ違っても気づかない関係になるよね。って。
シンジが最後に選んだのはマリさんでした。
AIとかロボットとか、あるいはアイドルとかも、そう? 心が通じ合っているようにみえても、それは現実ではなくて、最後には現実で身近に存在する人、自分が選べる現実のなかから、自分と共に生きる人を選ぶ必要があるということを表現したのかな、と思いました。
レイちゃんはシンジのお母さんのクローンだし、アスカもエヴァに乗るために生み出されたクローンだし、カヲルくんもシンジのお父さんのクローン(?)のような描写があるし、それぞれに現実に選ぶことのできる身近な人間とは違うような印象があります。
恋愛や人間関係だけではなく、将来の希望についても同じだと思いました。
理想通りの人間になれなくても、自分が選べる現実のなかから、どれかを選んで生きていくんだよ。ってこと?
つまり、夢ばっかり見てんなよ! ってことかな。笑
それから、「シン・エヴァンゲリオン」の物語は、涼宮ハルヒとか魔女の宅急便に似てるな、と思いました。
わたしにはシンジが世界を作り変えようとしているように見えました。自分が望んだ世界。望んだ、とは違うのかも。そうなると思った世界を呼び寄せている感じ?
最後の場面のシンジは、いままでとは違う世界を望んで、同時に選んで、平和な世界を生きているように見えました。
これはな、未来は自分が変えられるんやで。ってことを伝えようとしたんかな、と思いました。
この世界観は、涼宮ハルヒと似ています。
また、最後のシーンでマリさんがシンジのチョーカーを外すところ。あの場面からは、魔女の宅急便を感じました。
自分が何を考えるか、だけではなくて、まわりからの影響を受けて、子どもから大人に変わっていく、ということ。
魔女の宅急便の主人公キキがトンボに出会って、少し戸惑いながら、立派な魔女になるところの心理描写と似ていると思いました。
場面ごとに、いろいろ考察してはみたのですが、最終的に、よく分からないところが多くありました。
なんなん。なんなんなん。と思って、ネットで検索してみたところ、分からなくて当然、制作者が種明かししてない部分が多いから、という書き込みを見つけて、なるほど、と思いました。
自分で想像させる系のアニメなんやな。答えを明確に示さない感じの構成をしてんだね。
よく分からん。よく分からんから、もっかい見る。やっぱり分からん。笑 の無限ループしてる。
それで、最初の感想に戻るんやけどな。
大人になったな。って、ある日突然気づくんや。子どもから大人になる瞬間、な。
最後、マリさんとシンジが駅のベンチで話すところで、わたしは、そういう気持ちを思い出しました。
青春のなかに、心の中でどんな大騒動が起こっていたとしても、大人になって振り返ると全部が些細な出来事で、深く関わったはずの人同士であっても、すれ違ったときに気づかないような関係になっていく。
青春のなかで悩んで苦しんでいる中高生を応援する話なのかな、と思いました。
それから、大人である年齢になっても、子どもから大人になる瞬間を経験しないまま、昔の出来事に悩んで前に進めなくなっていたり、自分のなかに閉じこもってしまっている大人に、他者との関わりの重要性を問いかけているのかなと思った。
子どもから大人になる瞬間、は、自己との対話ではなくて、他者との関わりのなかで生まれるものなのだよ。というね、人間としてのありかたを問いかけているように感じましたよ。
どうでしょうか。わたしの考察は。
ちなみに「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」の最後の『𝄇』の部分は終わりを意味する記号だそうです。
シンジの父は、シンジによって何度も世界が作り変えられている様子を見ていた描写がありました。でも、ここで、シンジの世界の見方が変化したことにより、世界の再構築は終わったのだと思います。
シンジは、うまくいかなかった世界をゼロから再構築するのをやめて、いまある世界で、理想通りの人間になれなくても、自分が選べる現実のなかから、どれかを選んで生きていくことを決めたのだと思いました。
それが大人になること。子どもから大人になる瞬間なんだと思いました。
えぇ話やなあ。わたしは、エヴァンゲリオンの物語にある、ときおり哲学的なところが好きです。
そうやな。作者がこんな気持ちを伝えようとしたんかな? と想像して書き続けてきたけども、作者が何を伝えたかったかではなくて、わたしが何を感じたか。それが大事なのかも。わたしはこう感じたんだ、という想い?何に心が揺れ動いたか?
感想って、どんな内容であっても良いのだと思う。国語のテストに出てくる答えってさ、作者が抱いた絶対の答えではなくて、日本語の条件に当てはめると、この言葉を綴ったときの気持ちとして おおよその人はこれを選ぶよね。を答えさせるものだけども、読書感想文は違うと思うの。
読書感想文というのは、本来、何を書いても良いのだと思う。それなのに学校の先生は、それを採点して、優れた人の作品をまとめたりするじゃん。
だから、多くの子どもが読書感想文を大嫌いになるんじゃないだろうか。そういうわたしも子どもの頃は読書感想文が大嫌いでした。ふふふ。
夏だよね。読書感想文の季節だなあ。現代版 夏の季語にしても、ええんちゃう?笑
以上。終わり。
ほな、また(・ω・)よしなにー。



