「好き」という気持ちは生き物のように生きていて、旬があるのだということを伝える物語なのだと考えた、という話です。
こんばんは、はたのんです。このブログは、アスペルガー症候群はたのんママが、発達凸凹のある息子(自閉症スペクトラム)といっしょに成長する記録です。

画像提供:写真AC cheetahさん
【秒速5センチメートル】原作アニメと小説の読書感想文、新海誠
実写版の上映が始まった「秒速5センチメートル」の原作アニメと小説の読書感想文です。
図書館のオススメコーナーで見つけて読み始めた頃、テレビCMで実写化されることを知りました。
原作アニメは20年ほど前に見たことがあります。オタク界隈で非常に話題になった作品です。
当時盛り上がった「萌え文化」とは異なり、見たあとに憂鬱になる作品として。
ですが、久しぶりに小説という形で物語に触れてみると、とても心地の良い物語だと感じました。吸い込まれるような世界観です。
アニメ「秒速5センチメートル」は、3つの物語で構成されています。
転校で離れ離れになった中学生の2人が再会する日の初恋物語「桜花抄」、桜花抄の主人公である男子生徒の高校生時代をクラスメイトの女性の視点から見た物語「コスモナウト」、桜花抄で主人公である男子生徒が大人になってからの物語「秒速5センチメートル」の3つの部分で構成されています。
高校生や大学生の頃のわたしは、表題作ではない第1話「桜花抄」や第2話「コスモナウト」が印象に残りました。
でも、大人になった現在のわたしが興味をもったのは表題作の第3話「秒速5センチメートル」でした。
前の2つの物語と比べると短い物語です。アニメ版では、山崎まさよしさんの「One more time,One more chance」にあわせて走馬灯のようにサァーッと流れていったような印象のある物語でした。
言葉が無い状態で、何かを想像させるような切り抜きの場面が流れて、そのまま終わるのです。
アニメの定番ストーリーの感覚で見ていたため、第1話「桜花抄」に出てきた2人の主人公が結ばれて終わるのだと思っていたら、予想と違う結末になりました。
はっきりと言葉にしない。耳だけで感じるとることのできない作品。それが、この物語が多くの人の印象に残る魅力の一つだと思います。
じっくりと登場人物の様子を見ていないと、何が起こったか分からなくなるのです。だから、何かしながらではなく、画面に食いつくように見てしまうので、めちゃくちゃ印象に残ります。
これと同じ感覚になったことが実は最近あります。目黒蓮さんが出演していた「silent」というドラマです。重要なことを手話で話すため字幕を読む必要がありました。何かしながら見ていると、何が起こったか分からなくなるので、画面に食いつくように見た記憶があります。
どちらの作品も、他の動きを止めて、画面に食いつくようになっても見たいと思わせる素晴らしい作品です。
さて、この物語「秒速5センチメートル」で伝えたいことは何か。
わたしは「好き」という気持ちは生き物のように生きていて、旬があるのだということを伝える物語なのだと考えました。
自分が好きな人が、自分を好きになる難しさ。それから、自分が好きな人が、自分を好きだとしても、その旬を逃すと、再び繋がることは無いのだという忠告。
高校生時代には女性も男性も、ポストを覗き込んで、返事がくるのを待っている姿がありました。だから、お互いに相手との繋がりを楽しみにしているのだろうと感じました。
そこの解釈が違ったのかもしれない。
主人公の男性は返事を待ち続けていたけども、女性はやがて手紙の相手ではない誰かと新しい恋をして、過去の出来事として忘れていったのかもしれません。
第3話「秒速5センチメートル」は、第1話「桜花抄」で登場した女性が、初恋相手であった主人公の男性ではない誰かと結婚する直前でした。彼女は、書いたけども渡せなかった手紙を見つけて、あの頃は若かったと振り返るのです。
女性にとっては、すでに終わったこと。男性にとっては、まだ続いているはずだったもの。
とはいっても、主人公の男性も、あの時からずっと一人で過ごしているわけではなく、何人もの女性と関わっています。
「コスモナウト」では、同級生の女子生徒と仲良くなりました。コスモナウトは、その女性の視点で物語が進みます。
この女性は第1話「桜花抄」の主人公であった男性に告白しようと決意します。でも、その願いは叶いませんでした。
主人公の男性が「何も言うなという、強い拒絶」を示したからです。アニメ版では分かりにくいけども、小説版でははっきりと言葉で表現されています。
大学で東京に進学して就職してからは、3年も交際した女性がいます。その女性から、1000通のメールをしても、心は1センチしか繋がらなかったとして、振られてしまうのです。
ちなみに、その他にも女性と付き合ったり別れたりしています。それほどわたしを好きではない、という理由で振られています。
主人公の男性は、初恋を過去の出来事として、新しい人生を歩もうとしているはずなのに、心の奥底で忘れられずにいます。そして、桜の花びらが散る風景から彼女の幻像を見てしまうのです。
幻像か、実像か、これは想像するしか無いのですけれども、わたしは幻像だと思いました。ずっと探していた彼女を見つけたのに声をかけることができなかったのは、本当はそこに存在しなかったからではないでしょうか。
少し前のシーンに、確かにあったはずの彼女への想いが、気づけば見つからなくなったことに気づいた というような言葉がありました。
電車が通り過ぎて最後に振り返った景色のなかに、彼女はいませんでした。長く想い続けた初恋の幻想からの解放を表しているのかなとも感じました。
桜も、電車も、アニメ版「秒速5センチメートル」で何度も繰り返された景色です。その両方を最後に画面いっぱいに主張させたところが、わたしは好きでした。
さらに、アニメを見てから、小説を読むと(そういうことだったのか)と気づく場面がありました。
主人公の初恋相手である女性は、秒速5センチメートルの主人公である男性と結婚せずに、他の男性と結婚しました。アニメ版では薄情な女性のような映り方をしたのですが、小説版での彼女は少し異なり、主人公のことをすっかり忘れているわけではないようにみえました。
もしかすると、彼女もどこか報われない気持ちを抱いたまま、主人公の男性ではない誰かを結婚するのかもしれません。
とても大事な相手だけれども、遠く離れて過ごした主人公ではなく、自分の近くで、自分と共に生きていけると思う男性を選んだ彼女の現実的な判断。
どの恋も、100パーセントの幸せであるようには見えないまま、物語が終わります。それらの要素が、見たあとに憂鬱になるアニメと表現される理由かもしれません。
どういう言葉を使って表現すればいいか分からないですけれども、大学生に見たときより、大人になった今のほうが心に引っかかりを残す物語だと思いました。
確実に「好き」同士であったはずの2人が最後まで結ばれることがないまま、物語が終わってしまいます。
繰り返しになりますが、わたしは「秒速5センチメートル」という物語は、「好き」という気持ちは生き物のように生きていて、旬があるのだということを伝える物語なのだと思います。
自分が好きな人が、自分を好きになる難しさ。それから、自分が好きな人が、自分を好きだとしても、その旬を逃すと、再び繋がることは無いのだという忠告。
「秒速5センチメートル」のキャッチコピーは「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか」
時間は平等だと言うけども、人によって生きるスピードが違うのかもしれません。同じだけの時間が過ぎたはずなのに。
はじめは同じ場所にいたのに、手が届かないほど輝く場所にいる人を羨ましく感じる気持ち、そういう劣等感をも刺激する物語です。
初恋を忘れられない主人公の恋愛物語でもあり、劣等感からの解放物語でもあると思います。
主人公の男性は、初恋相手への気持ちではなく、自分自身の不安や不満を言葉にする場面が多くあります。何人ものヒロインが登場するので恋愛物語として見がちですけれども、主人公の劣等感を表すような言葉を拾い上げていくと、また違った物語になるのではないでしょうか。
次にアニメ版「秒速5センチメートル」を見るときには、恋愛物語ではないという暗示をかけて、主人公の男性の気持ちを追ってみたいです。
実写化された映画にも興味があります。テレビで流れている予告編や、YouTubeで公開されている内容だけでもエモい気持ちになります。
家庭がゴタゴタしており、行けないだろうけど、ひっそり応援しています。配信される日が楽しみです。
少し調べてみると、小説版にもいくつか種類があるようです。他のバージョンも読んでみたいと思います。
ほな、また(・ω・)よしなにー。




